日本の安全保障政策の変遷と自衛隊
元統合幕僚長
折木 良一 氏

皆さんこんにちは。今日は「安全保障政策の変遷と自衛隊」という演題でお話をさせていただきますが、最近の安全保障をめぐる情勢は極めて厳しくなっているというのは、皆さんも身近に感じておられるのではないかと思います。先日の七日には、米国の巡航ミサイル59発によるシリア攻撃、そして今は、米空母カールビンソンが、停泊予定のシンガポールを横目にして西太平洋を北上しています。

このような状況の中でテレビを見ていますと、いろいろ感じるところがありまして、例えば先日の国会で、某政党の幹事長が安倍首相に対して「アメリカのシリア攻撃を支持されましたね。アメリカが攻撃した根拠は何ですか。」というような質問をしていましたが、それを見て思ったのは、そのような一般的な質問ではなく、日本或いは東アジアの安全保障に及ぼす影響や、もっと身近で言えば「日本周辺で類似の事象が起こったときに、日本の安全保障にはどのような影響があるのか」、「最悪の場合にはどのようなことが考えられるのか、そのとき自衛隊は本当に大丈夫なのか」と、国会ではそのようなことを議論しなくてはいけないのではないかということでした。

 

安全保障の問題については、今や、国民の方が政治家よりも敏感になってきている面があると思います。危機管理といえば、皆さんもご覧になったかも知れませんが「シン ゴジラ」の映画は、東日本大震災のときの福島第一原発事故対応のように、まさに国家の危機管理そのものをテーマにしていると思います。まだご覧になっていない方は、機会がありましたら是非一度見ていただきたいと思います。あの映画の中には、首相官邸をはじめとして「政治のリーダーシップ」、「求められる決断の難しさ」、「官僚の有り様」、「日米関係の厳しさ」などが込められていて、単なる娯楽映画ではなく、安全保障、危機管理の話だと思っています。付け加えますと、過去の初代ゴジラの映画のときは、自衛隊は「めちゃめちゃ」にやられて最後まで歯が立たなかったのですが、今回は少し強くなり、陸・海・空の持てる力を全部出していまして、「自衛隊もだいぶん強くなったな」、「信頼されるようになったなあ」と自分ながら思っているところです。

 

ゴジラと原発の話から入りましたけれども、単なる映画の話ではなく重要な比喩を秘めていると思うわけです。原発に関しては安全神話がはびこっていました。政治・企業・国民すべてが原発には事故が起こるわけがないし、起こらないという前提でいろいろな施策がなされてきました。しかしながら、皆さんご承知のような状況になってしまいました。これは、戦後の日本人の「平和が大切と言っていれば平和が来る」、「祈れば平和が保たれる」という安全保障観にも繋がっていたのではないでしょうか。言い古された言葉でいえば「空想的平和主義」です。

戦後の安全保障観を見ますと、北方正面に関する危機意識というものはありましたけれども、基本的に冷戦は米ソの問題で「平和は誰かが、アメリカか国連が守ってくれるもの」という意識のもとで対応してきたわけです。戦後いろいろな取り組みを行ってきましたが、基本的には日米同盟の庇護のもと「アメリカがいるから何とかなる」、「日本は少しぐらいアメリカのすることに反対しても、最後はアメリカが何とかやってくれる」という考えが日本人の腹の底にはあるのではないかと思います。そして「戦争なんか起るわけがない」という前提で戦後70年の時が過ぎてきたのが、最近になって北朝鮮の弾道ミサイル発射問題、中国の尖閣諸島領海侵犯問題など、日本周辺の国際情勢が厳しくなり、安全保障の問題がクローズアップされてきて、皆さん「まずいよね、やばいよね」という思いが強くなってきたのではないかと思います。

 

以前、高度経済成長時代に日本が世界に進出して行くとともにバッシングを受けることも多くなり、「日本人論」がブームになりました。私が20歳ぐらいのときに、京大の会田雄次先生が書いた「日本人の意識構造」という本が、今も書店の本棚に見られますが、心の中に残っていることがあります。会田先生は日本人の精神構造の一つを「日本人の背後主義」と表現しています。背後主義、「はいご、背中の後ろ」の意味合いは何かというと、日本人のお母さんは、例えばクマが襲ってくるときなど、危ないものから子供を守るとき、背中を向けて子供を抱え込むようにして守るのが一般的です。それに対して欧米の人たちは、勿論子供は後ろに置いて庇いますけれども、自分は相手に対して正面から向かっていきます。そこが根本的に違うわけです。このような傾向は、家族、企業・職場、国を守るときの日本人の姿勢にも表れてくると、そのようなことを書かれています。

言うまでもなく、後ろを向いていたら前で何が起っているか分かりません。目の前の厳しい現実を見ながら、それに対してどうのように対応するのか、本当に突っ込んでくるのか又は違う方向に向かうのか、そこを見定めながら子供を守らなければいけないわけです。現実の脅威に向き合って、子供・家庭、企業、国を守るという姿勢が大切なことだと思っています。

 

防災上の観点から見てみますと、日本では近年、阪神淡路大震災、東日本大震災などにより非常に大きな被害を出しましたけれども、災害に対しては、決して背中は向けていないと思っていますけれども、100パーセント前を向いているかというと、そうではなくて斜め45度ぐらいでしょうか。今、首都直下地震、南海トラフ地震などに対して、国や自治体が、東日本大震災の教訓をどのように生かすのか、例えば海岸に近いところに居たらだめだから高台の上に住宅を作るとか、いろいろな対策を講じようという動きになっています。それが私は、前向きに立ち向かって行くということではないかと思います。

ただし、安全保障に関していえば、斜め45度とはとても言えない状態ではないかと思っています。しいて言えば、斜め15度ぐらいしか向いていないような気がします。まだまだ、真剣さは勿論ですが、ある意味での敏感さというものが必要ではないかと思っています。ですから最初に申しあげましたが、シリアで起こったこと、西太平洋で起っていることをよそ事ではなくわが身ととらえて、いろいろな事態に対応していく意識、感覚というものを、我われは更に一歩と進めていかなければなりません。今、世の中の情勢は不安定になってきていますが、京大の高坂正堯先生は、国家の体系というのは、パワーいわば軍事力、利益即ち経済力、そして価値観ですが、その3つの体系からできており、これらが複雑に絡み合っていると表現されていますけれども、今の時代は、これらが大きく複雑に変動しており、本当に不透明な時代になってきているというふうに思っています。

 

一 日本の安全保障政策への取り組み~不安定な時代に対応するために~

安全保障上の不安定、不安感というものに「軍事力の空白」ということがあります。尖閣諸島に近い東シナ海もそうですが、南シナ海の場合を見ると、この空白の意味がよく分かります。ベトナム戦争が終わって米軍が撤退し、カムラン湾にいたソ連軍が撤退をした後、南シナ海が空白になり、それに乗じて中国が進出をしてきて今の状況になっています。軍事力が空白になったところには新たな力が入り、そこに安全保障上の問題が生じてくるわけです。そこで大事なことは「国を守る、安全保障に最善を尽くす」という国家、国民の意志力ではないかと思います。それは国家の統治能力という姿で表れ、中東情勢がどうして収まりをみせないかというのも、国家の統治能力に原因があると思います。自分たちの国づくりをするという国民の強い意志力が結集されないが故に、混乱が続いているという側面もあると思います。

 

不安定な状態の中では政策、戦略の影響が大きくなるのは言うまでもありません。例えば、イラク問題、シリア問題を通じて見られたオバマ米前大統領の中東政策にしても、戦略としては曖昧というかファジーな部分が多くて、あまりきちっとしたことを示していませんでした。その結果、ロシア、イランなど関係する国は「アメリカはここまでは何もしてこないだろう」という自分たちの思惑で動くようになります。中東の不安定さというのは、そういうところからも来ているのではないでしょうか。それでは、トランプ米大統領になってよくなるかというと、軍事力だけでは抑えきれない面がありますし、いろいろな要素が絡み合っていますので、そう簡単にはよくならないでしょう。不安定な様相は長く続いていくのではないかという気がします。

空白が生じて、加えて中国を筆頭に新しい力が出てきて、政治・経済・軍事の面で摩擦が起こるということは必然的なことだと思います、今、皆さんも頭を痛めているのは北朝鮮の問題だと思いますが、核弾道ミサイルを主体にした軍事力を背景にする国づくりというのは、周辺諸国に対して不安感を与えています。このような不安定な時代に対応するかのように、日本の安全保障政策は、特に安倍内閣以降、着実かつ具体的に進んできていることは心強いことです。

 

昭和51年以降、「防衛計画の大綱」や「日米のガイドライン」などの防衛政策を作り上げてきましたけれども、これらは時代の特性と変化を反映しています。理想を言えば、国家戦略に基づいた「時代の先取り」が基本ですが、結果として、政治状況も反映した数年遅れの「時代の追っかけ」が現実です。まず世の中の先を読み、情勢見積もりを行って、それに基づく防衛力整備、5年間の中期防ではどうするか、日米関係はこうしようというようにやっていくのが理想的ですがなかなかそうはいかず、どうしても追っかけの部分というのが大きくなります。

平成22年大綱と25年大綱というのがあります。両者の差は、22年大綱のときには、「状況が大きく変化した」場合に大綱を修正しようということになっていました。25年の大綱では、「状況の変化が予想される」場合であれば修正を行うという、要するにもう少し先を見て前もって修正していこうというやり方に変わりました。今の時代、このように先行的に前もって対応していくことが大切になります。

今までの日本の安全保障政策というのは、戦後の流れのなかで、国内政治の状況を踏まえ、経済を何よりも重視し、周回遅れとは言いませんが、半周遅れぐらいの情勢認識の中でやってきて、その歩みも遅々たるものだったと思います。

2012年に安倍政権ができてから、安全保障の枠組みが意欲的に整理されはじめてきました。目新しいというよりは海外派遣などもふくめて、これまで議論したことを法制的に一度集大成して整理します、そしてこれからの時代に追いつくように努力をしますということだと思います。

 

二 我が国の防衛政策の基本~国家安全保障戦略と国防の基本方針~

わが国が憲法のもとで進めている防衛政策は、これまで昭和32年に国防会議と閣議で決定された「国防の基本方針」にその基礎を置いていましたが、これに代わるものとして、平成25年に「国家安全保障戦略」が国家安全保障会議(NSC)及び閣議において決定されました。国家安全保障戦略を定め、それに基づいて防衛計画の大綱や防衛力整備計画を作成し、特定秘密保護法、防衛装備の移転3原則などを新たに作り、それから日米新ガイドライン、最終的には安全保障関連法の成立まで持っていきました。2013年から15年までの2年間の安全保障政策の枠組み作りというのは、戦後の安全保障政策の中でも画期的な取り組みだったと思っています。あのように一つの形に集大成され、政策として一つの枠組みができましたが、根っこのところには憲法というものがあり、「変えてはいけない憲法」ということを意識しながらの議論でもありました。

 

新しい安全保障政策の枠組み作りは本当に大きな転換期でありました。私は統幕長を民主党政権下でやらしていただき、その後、防衛大臣補佐官として自民党政権下で協力させていただきましたけれども、これから海外をふくめさまざまな場面で行動する自衛隊の法制上の整備は、やっと間に合ったのかなという気がしています。自衛官として長く勤務してきた立場から見た実感です。

防衛政策のさまざまなことに関わってきて感じたことは、現行憲法下での限界ということでしょうか。憲法は当然守らなければいけませんが、現行憲法を前提として全ての枠組みを構築しようとすると、国際的な現実の立場において限界も生じてくるわけです。そこのところはしっかり認識した上で、「日本のリスクはどこにあるのか、それでいいのか」など、国民にも理解してもらわなくてはとそういうふうに思っています。

戦後から安全保障政策の根本にあるのは、「シビリアンコントロールのもとで自衛隊をどのように統制していくのか」、「防衛力はできるだけ抑えたいが日米同盟は大事にしたい。何かあったらアメリカに頼る。」ということでした。防衛力を整備する場合も、経済・財政に影響を及ぼさないように抑制するという枠組みの中でやってきました。

 

昭和32年に策定された「国防の基本方針」の中心は、日米同盟をしっかり維持していこうということです。国防の基本方針作成の中心となった防衛官僚がそのときコメントを残していますが、それは「基本的に、米軍が駐留している日本に攻めて来る国などない。もしそのようなことがあったとしても、そのときはアメリカに対処してもらうより仕方がない。今の我われにはそのような能力はない。それはこれから作り上げていくものだ」というものでした。この「国防の基本方針」が、新しい「国家安全保障戦略」ができるまで続いてきた日本の戦略です。昭和32年というと私は小学校2年生でしたが、そのときから、ずーっと60年近くも続いてきたわけですので、今もそのような考え方の影響がどこかに残ってしまっています。

 

アメリカに関してですが、日米同盟というのはこのような時代になって本当に大事なものになっていますので、いろいろな面でこれから深化・強化していかなければならないと思っています。今の時代、自分の国だけで国を守るということはできません。ただ、尖閣諸島の問題もそうですが、まず、日本が、自衛隊がやらないことにはアメリカは来てくれないということはしっかり認識しておかなくてはいけません。そしてアメリカにも、できることとできないことの両面があることは認識する必要があります。私は統幕長時代、東日本大震災を通じてそのことを痛切に感じています。

まず一つは、米軍が支援してくれた「トモダチ作戦」ですが、平成23年3月11日に大震災が起こって、もう14日には関東沖に進出し、支援してくれました。太平洋の米軍が一ヶ月あまり、全力ともいえるほどのできる限りの支援をしてくれました。本当にありがたいと思っています。

 

もう一つの面というのは、原発事故発生時にアメリカは発電所から50マイル即ち80キロメートル以内では活動しませんでした。米国政府としては軍人も含め国民を守る義務があります。ただ、米軍人は入ってきませんでしたが、器材の支援は積極的に行ってくれました。これは当たり前の世界で、アメリカの立場からすればそのようにして自国民を守らなければなりませんし、そのようなシビアさがあるのは当然だと思います。

このように、一見突き放すかのようなシビアな面と、温かく親切に助けてくれる面と同時に存在するということは認識しておかなければいけません。さきほどの防衛官僚のコメント「何があっても、アメリカがやって来て助けてくれる」ということですが、あの時代はそうであったかも知れませんが、今の時代は少し違ってきていると思います。そういうことを根本において、日米の信頼関係というのを積み上げていかなければいけないと思っています。

 

三 自衛隊の創設と将来への負の遺産

自衛隊の生い立ちについて考えてみますと日本人の「背後主義」ではありませんが、日本人の精神構造の中に根強く埋まっている部分が大きな影響を及ぼしています。

戦後日本は、占領軍によって民主化とか非軍事化が進められてきたわけですが、これもプラスの面とマイナスの面があると思います。皆さんのレジュメには「自衛隊の創設と将来への遺産」と書いてあるのですが、そこに「負の遺産」というように「負」を入れたかったのですが誤解を避けて入れていません。さきほども述べましたが、根本のところに憲法の問題があり、「平和主義、不戦主義」だけが強調されていき、それが今の自衛隊にも負の影響を与えているからです。

今、朝鮮半島が厳しい状況になっていますが、昭和25年には朝鮮半島で戦争が起り、それを契機としてポツダム政令いわゆる、マッカーサー指令で警察予備隊ができたわけです。警察予備隊というのが今の自衛隊の前身にあたりますが、警察予備隊令で示されているのは警察の予備隊ということです。要するに、国の警察と都道府県の警察を補う機関として創設されました。ですから、治安維持のため特別に必要がある場合、総理の命を受けて行動するという、そこが出発点だったのです。軍隊でも何でもなく警察の補完組織からスタートしていったわけです。その矛盾が今まで続いてきているわけです。警察予備隊の編成・装備は米軍にならい、法的位置づけは警察そのもので、そこからスタートしたことが、今の自衛隊の曖昧な位置づけになっているわけです。

 

他の国の軍隊と比較して、我われは、法律体系上、今の自衛隊の行動を「ポジティブ・リスト(例外として許されるもの)」ではなくて、「ネガティブ・リスト(例外として禁止するもの)」にして下さいと言っているわけです。「何ができるのではなくて、何ができないのか」ということですが、「何ができるということ」はそれしかできないわけで、「何ができない」としてもらえば、現場の指揮官が任務上の自分の裁量で判断できる範囲が増えてきます。自衛隊がこれから直面するさまざまな状況の中で任務を有効に達成するためには、極めて重要なことなのです。

新しくできた安全保障法制の全体もやはり、ポジティブ・リストになっているわけです。警察は国民の日常生活に直結していますので、権限の執行には慎重さを求められますから、ポジティブ・リストに基づいて行動することになりますが、自衛隊も警察予備隊からスタートしていますので、未だ根っこのところにポジティブの特徴が残っているわけです。

 

四 「防衛計画の大綱」の変遷と防衛力の役割

防衛計画の大綱に基づいて防衛力が整備されていきますが、冷戦の時代はまず一次防から四次防までは、軍事的脅威に直接対抗することを主眼として防衛力を整備していきました。ただ、財政的には厳しいものがあり、脅威に見合うほどの予算が組めませんので、限定された脅威にしか対抗できないような防衛力整備しかできませんでした。いずれにしても、米軍が日本から一歩退いたあとに陸海空の自衛隊を創り上げて態勢を整えようというのが、四次防までの世界だったと思います。

しかし、そういいながらも防衛費は伸びていき、石油ショックとかデタントが進んできた中に「51大綱」ができますが、「51大綱」というのは、脅威対抗というよりも防衛力の存在自体による抑止効果を重視し、独立国として必要最小限度の基盤的な防衛力を持ちましょうということです。自らが軍事的空白にならないように防衛力を整備しようということで、平時は基盤的な防衛力を整備、保持して、何かあったら脅威に対応できるようにエキスパンドしようというものです。

そのような形で、防衛力整備が進んできたわけですが、それを重ねていくうちに1989年に冷戦が終わりました。その7年後に「07大綱」というのをつくりましたが、このときにはちょうど阪神淡路大震災があり、平成4年以降はカンボジアPKOをはじめ、国連の平和維持活動も活発に行われていましたので、国際貢献活動というのをしっかりやり、また、大規模災害にも備えなければいけないというのが「07大綱」です。

 

「07大綱」から9年経って「16大綱」というのが作成されましたが、このときは、北朝鮮の弾道ミサイル対応やテロ対応とか、そちらの方に重点がシフトされていきました。それからさらに6年経って、民主党が政権を取って「22大綱」を作成しました。そのときは、東シナ海における中国の動きが活発になり、自衛隊も機動的に運用ができる態勢にしようというのが基本でしたが、ただ「人は減らしましょう、予算は増やしません」という方針が打ち出されて、自衛隊にとっては非常に厳しいものがありました。

人員の削減に関しては、私としても反省しなければならないことがあります。例えば、「定員を増やすな、人員を減らせ」という話になったときに、実働人員を確保するために、自衛隊に入ってくる新隊員の諸官を、限定された期間ですけれど、一時、自衛隊員候補生という資格にして「新隊員は候補生で自衛隊員ではない。平たくいえば学生だ」といって、定員にはカウントしないでおくというような手段も使わざるを得ませんでした。自衛隊に入ってきたら即、自衛隊員であるという本来の意識、感覚とは異なるシステムを採用してしまったという反省があります。

 

「25大綱」という新しい大綱は、自民党の安倍政権の「積極的平和主義」という理念の下、「現実に対応する」という流れの中で平たく言えば、統合運用を基本とし、また南西方面を重視するというものです。それに伴い防衛予算もアップするという、従来とは異なる大綱の流れになってきました。「事象が起こってから、それを追っかける」という従来のスタンスではなく、一歩先の情勢見積に基づき防衛力整備を進めるという考え方になってきたと思います。

繰り返しになりますが「存在するだけの、言い換えれば、使われない、使いたくない」という前提でスタートした自衛隊に対して、国民のアレルギーは強いものがあり、例えば沖縄では昭和47年に自衛隊が駐留しますが、その時の厳しい反応は今でも語り草になっています。今では存在がしっかりと認められる自衛隊になっていますが、こうなるまでに苦労された先輩方の努力も報われたものと思います。

 

このようにして、50年代、60年代というのは、「愛される自衛隊」、「信頼される自衛隊」、80年代は「親しまれる自衛隊」とか自衛隊のキャッチフレーズも変わってきました。逆にいえば、今までが愛されてなかった自衛隊、信頼されていなかった自衛隊、親しまれていなかった自衛隊と言えば言いすぎでしょうか。もっとも、我われはそうは思っていませんけれども。今は自衛隊の活動を通じて、国民の皆さんの92パーセントの方たちから評価していただいているわけです。新たにキャッチフレーズを作るとすると「裏切らない自衛隊、裏切れない自衛隊」でしょうか、国民の期待に応えて、正面から向かっていかなければいけない、そういう意識で自衛隊の人たちも頑張ってくれていると思います。

 

五 戦後の日本と自衛隊~何が変わったのか、何が求められるのか~

ここまで国民に評価されるまで、50年も60年もかかりましたが、それには自衛隊の諸先輩の努力は勿論ですが、さまざまな自衛隊協力団体の皆さんから温かいご支援をいただいてきた賜物と思っています。自衛隊と国民の間の関係の変化を、私の自衛隊勤務40年を振り返って具体的に見てみますと、3つぐらいに区分できるのではないかと思っています。

初めの時代というのは昭和の自衛隊です。冷戦時代を通じて我われは当然のように北の方を向いていましたけれども、どちらかというと、有事のために備える自衛隊というのでしょうか、平時は教育訓練ばかり一生懸命やっていた時代でした。冷戦時代ですから、自由主義国家対共産主義国家という対立の中で、自衛隊は存在していることが抑止力になっていたということです。別な言葉でいえば「如何に自衛隊を使わないで実力を蓄えつつ、抑止効果を高めるか」ということでしょうか。

 

次の段階は平成の時代です。冷戦が終わり、阪神淡路大震災で活動し、カンボジア・ペルシャ湾など海外での活動が始まって、時代が変わり、ただ教育訓練をやっていればいい時代ではなくなりました。平時から常時継続して運用される自衛隊、そのように変わってきたと思います。国際的にみても国家対国家の対立という単純な枠組みから離れて、海外での活動も含めて任務が多様になってきたということでしょうか。

 

3つ目の段階は、新平成の自衛隊と私は言っていますが、平成20年頃からでしょうか。きっかけは、中国、北朝鮮が日本周辺で活発な動きをし始めたことにあります。中国の軍事活動が東・南シナ海で急激に増大し、さらにロシアも再び動き出しはじめ、国家対国家という対立が新たに構図として浮かび上がってきました。そこに「テロの脅威」は相変わらず各地域で頻繁に生起し、複雑な時代になってきました。このような新たな時代の安全保障の変化に伴い、軍事力の質も当然ながら変化してきますし、作戦空間も大きくなってきました。さきほど、朝鮮半島の話をしましたが、昭和25年の朝鮮戦争時、日本では米軍に対して、九州を中心にして支援しましたが、朝鮮半島から絶対に弾丸は飛んできませんでした。ところが今は、朝鮮半島有事を考えたときに、まず弾道ミサイルからの損害を考慮しなければいけません。このように作戦空間が広がってきていますから、朝鮮半島で起ることは、日本に直接的影響を及ぼすようになってきました。朝鮮半島の問題は即、日本の問題と認識しなければならなくなっています。

 

それから、宇宙・サイバーについても考慮しなければならず、今は5次元の世界になってきています。昔は、戦力というものは数字で計算することができたわけです。例えば、日本が戦車500両、北朝鮮は古いといいながらも1000両の戦車を持っていると、このように計算ができたわけですが、今はそれにプラスして、サイバーとか目に見えない部分があるわけです。戦力、特にその質というのが不透明になってきました。その中で我われは、有事に備えていかなければならないという、そういう時代だというふうに思っています。

それと、もう一つはグレーゾーンとよく言われますが、平時か有事か判らない、例えば南シナ海において中国が漁船や民船・公船を使って軍隊まがいのものを出してきています。民間の諍いから軍隊の出動まで争いの段階が不明確になってきています。あらゆる脅威がミックスされた時代になってきています。平成の自衛隊の時よりも、今の新平成の時代というのは作戦環境が大きく変わってきています。このように作戦環境が複雑になってきているということは、従来の軍事組織だけではもう対応出来る時代ではなくなってきていることを意味します。サイバーにしても、軍事組織に対するサイバー攻撃だけではなくて、国の重要なインフラに対する攻撃も考えられますので、これからは一層、国家全体として平時・有事を問わず、さまざまなことを考慮して対応しなければならない時代になってきていると思います。

 

六 軍隊・自衛隊の役割の変化~平成の自衛隊~

自衛隊そのものについてもう少し申し上げますと、統合運用、陸海空を統一して運用するということが始まったのが平成18年でもう10年が過ぎたわけですけれども、このような防衛大臣に対するオペレーションを補佐する体制というのは大いに評価されてきています。関係者の努力もありますが、背景としては自衛隊が実際に運用される可能性が高くなってきたことにあると思います。従来の教育訓練だけをやっていればよいという時代ではなくなってきています。自衛隊が実際に東シナ海や北朝鮮対応のシビアな状況の中で運用されるかも知れないという、厳しい時代になってきたということです。

先ほどグレーゾーン対応ということを申しましたが、さらに付け加えますと、自衛隊、特に海上自衛隊とは言いませんが、これからはより政治的・外交的な面を考慮しながら行動しなければならなくなってきています。その結果、軍事以外のノウハウを修得する必要も生じ、活動範囲もまた大きくなっていきます。

 

それから、即応性もより強く求められる時代になってきています。平時か有事か判らず、事態がどのようにエスカレーションしていくのか分からないグレーゾーンの中で行動しなければならなくなってきます。ウオーニングタイムというか準備する期間が全く期待できない状況で、自衛隊は、今ある装備・編成で対応しなくてはなりません。明日、明後日という話ではないのです。昭和の時代ですと、相手が周到に準備をして船で渡航してくる。そうすると何週間、何ヶ月かかるという待ち時間が、情報さえ入手できれば常識的に計算できますが、これがグレーゾーンから一気にエスカレーションしていった場合、従来の手法で対応しようとすると準備期間が全くなくなります。このことは強く認識しておかなければなりません。

 

国家安全保障会議(NSC)ができて3年が過ぎましたが、総理を中心に官房長官、外相、防衛相の4大臣会合というのも、定例に加えて北朝鮮問題、シリア問題など何か事態が発生すると直ちに開催していますので、すでに100回は超えていると思います。そこで必要な対応措置の方針が決まってゴーがかけられるようになり、国家の意思決定というものが早くなってきました。勿論それに対応して、自衛隊も迅速に行動していかなければならなくなっています。このようなスピード感が大事だということです

また、統幕長、陸海空各幕長を中心にした大臣の補佐、オペレーションに対する責任というものが重くなってくるということです。

これに関連して付け加えますと、今は、自衛隊の活動がマスコミの眼を通して、ほとんどが公開されるようになってきたということがあります。海外でも国内でもいろいろな活動をする場合、外部の眼をシャットアウトして何かするということはできなくなってきています。自衛隊の行う活動が直ぐにマスコミ、国民に伝わるということは、正しいことをしている、悪いことをしているという、そういう話だけではなくて、瞬間的に情報が拡がっていくわけですから、国民に対する影響とか国際的影響とか、局部の部分が全体として評価されるようになってしまいます。オペレーションをする上では、重要な考慮事項になってきます。

 

七 政軍関係~シビリアンコントロールだけの概念でよいのか~

戦後は戦前の教訓から、政治と軍、自衛隊の関係については、軍をコントロールするという強い意識がありました。今の時代、自衛隊を運用する場面が多くなり、過度の意識はもはやありませんが、根本は「シビリアンコントロール」によって政治が優先し、軍を統制するということに全く変わりはありません。

後輩がアメリカで勉強していて、最新の情報を教えてくれますが、政治と軍の関係においていずれの国も、政治の責任は大きいことに変わりはありませんけれども、軍、自衛隊が作戦に関してサポートする責任というのも非常に大きくなってきています。政軍関係というのは、今までのシビリアンコントロール、いわば政治の統制というだけではなくて、政策決定をしていくプロセスにおいて軍事の専門家として補佐するという、そこのところが大変大事になってきています。政治家は自ら最終決心していく中で、必要な自衛官の意見を聞き、自衛官はその結果、一旦決まったことについては、例え反対であったとしても政治の決定に粛々と従って行動していくという、そのようなシステムが何よりも大事だと思っています。

軍事の専門家、自衛官の意見は単純に「それ行けドンドン」ということには絶対になりません。自衛官は部下を持ち、組織を率いています。部隊を動かすということには慎重にならざるを得ないのです。皆さんもそうでしょうが、部下に対して危険なことは基本的にはさせたくないのです。勿論、オペレーションとして決定されたら、実行することに躊躇はありません。「熟慮断行」、「慎重かつ大胆」、これはどこの先進国の軍隊もそうだと思いますが、このことは皆さんに認識しておいてもらいたいと思います。

 

以上のようなことを考慮し、国益、国民、国を守るという観点で、自衛官の意見を政治的判断のプロセスの中に取り入れていくという、新たな時代の「政治と軍の関係」を構築していかなければならないと思います。そのような関係があって、自衛官には、部隊を危険に曝すことがあっても任務を遂行しなければならないという覚悟が自然に生まれてくるわけです。

私は東日本大震災、特に福島第一原発事故対応のときに、統幕長として、北澤防衛大臣とともに、菅総理をはじめ関係の方々に総理の部屋で説明したり、指導を受けたりする機会が十数回はあったと思いますが、あのような関係がこれからも大事だと思います。今までも、統幕長として、安全保障会議などでは、総理はじめ関係閣僚に、ペーパー1~2枚で要点を説明することはありましたけれども、オペレーションそのものについて、詳細な説明をしたことはありませんでした。ですから、そのような関係を、震災対処時などに限らず平時においても続けてもらいたいというふうに思っていましたが、そこに国家安全保障会議(NSC)ができて、資格は陪席ということで正式メンバーではありませんけれども、統幕長が参加することができたのはよいことだと思っています。

 

このように、最高指揮官に対して「オペレーションはどうすれば有効に推進できるのか」、「自衛隊の限界はどこまでか」といったことを直接耳に入れて考えてもらうということが大事であり、またそうすることが自衛隊としての責任だと思っています。そして、それは統幕長だけの話ではなくて、陸海空各幕長、全国に展開している部隊揮官も同じことを考えながら任務を遂行してくれているというふうに思っています。

政軍関係としてはこれまで述べたとおりですが、根本のところを突き詰めていけば、国の組織の中における自衛隊の位置づけということを明確にしないといけません。曖昧な立場のままでサポートする、いわば足元だけの政軍関係というのは、いざというとき有効に機能しないおそれがあります。自衛隊に関しては、こうやって出席されている皆さんにはご理解をいただいていると思いますけれども、ほとんどの人にはまだまだ理解が十分とはいえないと思っています。

 

ただ、自衛官の方にも、過去の自衛隊の生い立ちに引きずられているというか、いわゆる自ら政治的考慮をする習い性・消極性があるのも事実だと思います。

たしかに、多くのしがらみがありますが、それらを打ち破って自衛隊の位置づけというものをきっちりと行い、それからスタートして「政治と軍の関係」そしてもう一つは「国民との関係」を整えていかなければいけない時期に来ていると思います。今の時代のように、任務が複雑になり厳しくなればなるほど、そういうことをしっかりやっておかないといけません。長い年月をかけて、やっと新しい関係が構築されつつあります。私はより良い方向に進んでいくことを願っているところです。

 

八 これからの日本の安全保障政策と自衛隊

これからの日本の安全保障を考えた場合、地政学上は北方、朝鮮半島、南西方面の3正面を常に考慮しなければならない日本の宿命は変わることはありません。しかし、当面優先して考えなければならないことは北方ではありません。

今求められているのは「今そこにある危機」から「将来の危機」に対応できる安全保障政策論議です。「今そこにある危機」とは、領土、領海、領空などバイタルな国益が脅かされている、まさに日本にとって今の状況といえます。一方「将来の危機」とは、北朝鮮、中国の軍事的対応から国家の混乱や崩壊までを視野に入れておかなければなりません。また、首都直下型、南海トラフ等の大規模地震・自然災害等への対応も必要になります。

 

不安定な時代はまだまだ続いていきますが、このような不安定な時代だからこそ、国家として主動的に行動していかなければなりません。変動はチャンス、日本としてなすべきことを主体的に考えるチャンスでもあります。自分の国以上に自分の国のことを考える国はありません。そのためには、必要であれば過去のしがらみを打ち破る必要があります。精神的な意識と法制の面から、戦後長く我われを拘束してきた呪縛から解き放たれる努力を継続していく必要があります。

法制についていえば、平成27年の「安全保障関連法」の成立は、これまで日本の憲法解釈等により制約されてきた自衛隊の行動が、より具体的に認められたという点で、運用の実効性の観点から将来に向けて着実な一歩を踏み出したということができます。

 

安全保障政策と自衛隊という観点から見れば、例えば国際平和支援法に基づいて自衛隊を海外に派遣することなどはよりスムーズにできるようになりましたが、そこには、常に国民の理解と協力が必要になります。陸上自衛隊にとって初めてとなるカンボジア派遣のとき、私は大阪で自衛官募集に携わっていて、父兄の方たちに派遣の意義を説明しご理解を得るよう努めましたが、心情的に不安感をなかなか拭えない様子を感じていました。結果としては、幸いなことに一人の犠牲者も出さないで、また海外でも評価されて成果を収めましたが、それを見て次第に国民の理解が高まっていき、各次の海外活動で積み上げていくうちに、さきほど紹介しましたように国民の自衛隊に対する92パーセントの評価になってきた一つの要因と思います。

 

私の思いもふくめていろいろお話してきましたが、最後に、自衛隊の任務そのものが、段々厳しくなって来ているというのは間違いありませんけれども、それに連動して、隊員の処遇等、実際に現場で活動する自衛隊員のためにも整備していかなければならないことはまだまだあります。皆さんにもこれから引き続き、自衛隊に対するご理解・ご支援をいただければと思っています。よろしくお願いいたします。

今日はどうもありがとうございました。

平成29年4月12日 公益財団法人日本国防協会 国防問題講演会講演録より