憲法改正を阻む日本人的発想
作 家
井沢 元彦 氏

井沢元彦と申します。本日は当講演会でお話しする機会をいただき有り難うございます。ここグランドヒル市ヶ谷は、昔は軍の施設でしたが今はホテルとなっており、結婚式のためのチャペルもあるということを聞いています。
結婚式といえば、キリスト教における「誓いの言葉」を、皆さん一度は聞かれたことがあると思います。はじめに、このことについて少しお話ししたいと思います。今、ここを教会の結婚式場だとします。十字架があり、目の前に神父と新郎新婦がいるという設定です。神父はまず新郎の男性に「あなたはここにいる女性をよきにつけ悪しきにつけ、富めるときも貧しきときも、健やかなときも病のときも変わらぬ愛を誓い、死が二人を別つまで妻とすることを誓うや」と訊きます。次に、女性にも同じことを訊きます。双方が「イエス」と答えれば結婚は成立します。これがキリスト教式結婚式のやり方ですが、日本人はこれをロマンチックだと思っているのです。特に女性の方はそうではないでしょうか。私の本をお読みになった方は「実はそうではない」ということはお分かりいただけると思いますが、どうもお見かけしたところ一人もいないようで、キョトンとされている方が多いように見受けられます。

これはロマンチックな文句などではありません。それどころか、まったく反対なのです。このことを理解していただくために今度は日本式の結婚式を見てみます。結婚式の三々九度が終わり、次は披露宴です。新郎は羽織袴、新婦が文金高島田の姿で座っており、会場には大勢のお客さんが出席しています。そこへ私、作家井沢元彦が来賓として招かれ、「一言、新郎新婦にスピーチをお願いします」と司会者に促され、次のように話し始めます。「本日はおめでとうございます。ただ結婚生活というのはいろいろな障害があって必ずしもうまくいくとは限りません。たとえば新郎の会社××コーポレーションは、今一部上場の優良企業ではございますが、リーマンショックのようなことがあって倒産しないとも限りません。また新婦の○○さん、大変清純そうで可愛い顔をしておりますが、実際結婚してみると、最近はあまり使いませんが「アバズレ」の一面があらわれないとも限りません。しかも人は必ず病にかかります。この会場を出た途端に新婦が車に轢かれて車椅子の生活となり何もできなくなってしまう、そのようなことがひょっとしたらあるかも知れません。しかし、もしそういうことになっても、ご夫婦は変わらぬ愛を貫いていただきたいと思います」と言ったらどうでしょうか(笑)。皆さんこの話を聞いてどうお思いでしょうか。「なかなかよい話だな」と思わないとすれば「危機管理」失格です。なぜかというと、今お話ししたことは十分に起こり得ることだからです。

それでは、先ほどのキリスト教の誓いの文句をもう一度見てみます。「良きにつけ」のあとは「悪しきにつけ」です。「アバズレ」或いは「DV夫」、そのような可能性はまったくないのでしょうか。「富めるときも貧しきときも」、この人は大金持ちだなと思って結婚したら事業に大失敗して無一文になってしまうことは絶対にないですか。さらに可能性が高いのは「健やかなるときも病のときも」です。人間社会ではよくあることですが、結婚したとたんに癌が見つかり、その後死ぬまでずっと面倒を見なければならないということだってあると思います。将来起り得ることに対して対策を練っておくのを「危機管理」と申します。キリスト教では変わらぬ愛を誓った以上、「大金持ちだと思って結婚したら、倒産してしまったので別れる」、「結婚したとたんに花嫁が半身不随になってしまい、健康な夫婦生活が遅れないので別れる」ということは「駄目ですよ」と言っているのです。

人間はいつか死ぬ運命にあります。先ほどの披露宴での私の話を続けます。「ところで夫婦というものはそれぞれ別々の人間ですから、同時に死ぬということはめったになく、飛行機事故でともに亡くなるとか、或いは憎しみ合って刺し違えるとかレアなケースを除き、90パーセント以上はどちらかが死に別れるということになります。そこでそのような場合、残された方の再婚の権利を是非お認めいただきたいと思います」と言ったらどうでしょうか(笑)。さきほどのキリスト教では何と言っていたのでしょうか。「死が二人を別つまで」、ということは「死をもってこの婚姻契約は終了する」ということです。「あとは自由にしていいよ」ということなのです。ですからジャクリーヌ・ケネディはオナシスと再婚したのです。あのような偉人の奥さんが、ご主人が亡くなったあと直ぐに大金持ちと再婚してしまうのは、日本人の多くは何となく嫌な思いをしたのではないかと思います。しかし、人生のおめでたい結婚式のときに、すでにこのような場合を考えて決めているのです。それを「危機管理」というのです。

 

一 「言霊」に惑わされる日本人

しかし、日本人にとっては「危機管理」ほど苦手なことはないのです。どうして苦手なのでしょうか。日本語の古い言葉のひとつに「言霊 ことだま」というのがあり、万葉集に出ています。万葉集と古事記、この二つはキリスト教でいえば旧訳聖書、新訳聖書に当たる日本民族の古典だとお考えください。日本書記もあるのですが漢文で書かれていて、今風でいえば英語で書かれた日本史になりますので、これはちょっと除外した方がいいと思います。本居宣長がいう「からごころ」が入っているわけです。古事記は万葉仮名といって、漢字を使っていますが日本語の音をそのまま「当て字」で表わしています。ただ、古事記は神話であり、万葉集は歌集という違いはありますが、その万葉集の中に色濃く「言霊(ことだま)」という思想が出てきます。「言霊」はどういうものかというと読んで字のごとく、言葉に霊力があるのです。物ごとを実際に動かす力があるということです。
「明日、東京に大地震が起きる」と言ったら、実際に大地震が起こるというのが「言霊」の考え方です。しかし、「それは迷信だよ。科学的に証明できない、ありえない」と言われれば確かにそのとおりなのですが、でしたら皆さんがアメリカに行かれるときに「飛行機が落ちるかも知れないので気を付けてください」と言われたら嫌な思いをしませんか。さらに、「嫌と思っても『飛行機が絶対に落ちない』と言えないのは事実ですので怒ってはいけません」と言われると、そのあと口もきいてもらえないということになります。「縁起ではない」ということですが、実は、これは深刻な問題なのです。

戦前、中国問題をめぐりアメリカとの関係が抜き差しならなくなり、「アメリカと戦争になるかも知れない」と考えた近衛文麿首相が、海軍の山本五十六を呼んで「アメリカと戦争になったら勝てるか」と訊いたとき、山本五十六は「一年やそこいらは十分に暴れてみせますが、その後は分からない」と言ったのです。そのことで陸軍から命を狙われたという話もあります。言葉には「霊力」がありますので、縁起でもないことを言うなということでしょう。それでは「日本は必ず勝つ」と言えばいいのでしょうか。「日本が負けるかも知れない」と言う人は、陸軍でも海軍でも左遷されてその職にとどまれないのです。
原発を製造するとします。現地住民に対する説明会で、住民から「原発は100パーセント事故を起こしませんか」という質問が出たとき、良心的な技術者なら何と答えますか。「それは人間が造ったものだから壊れることもあるでしょう」と答えたら左遷になるかも知れません。では、どういう人が残るかということを考えたとき、「原発は絶対事故を起こさない」と言う人ばかりとすると、事故なんか防げないということになります。「『言霊』というのは昔の人が信じていた迷信であり、今どきそのようなことはない」というのであれば、キリスト教結婚式の「誓いの言葉」は「危機管理」だということは分かるはずですし、私の挨拶も不愉快に思うことはないはずです。でもそうでないということは心の奥底で「言霊」を信じているということになり、それに惑わされるということです。

よくわかる例をあげます。2000年頃の話ですが、今は国土交通省ですが当時の運輸省と宇宙開発事業団が一悶着起こしたときの毎日新聞の記事です。ちょっと読みますと「運輸省の運輸多目的衛星MTSATを搭載したH2Aロケット8号機の打ち上げが昨年11月失敗していた問題で、打ち上げを行った宇宙開発事業団が運輸省と気象庁を相手取り、打ちあげ費用の分担金の残額35億円の支払いを求める民事調停を東京地裁に申し立てていたことが15日に判った。運輸省側が打ち上げの失敗を理由に支払いを拒んだためである。失敗した時の費用分担方法が契約時に契約書に明示されていなかったことも大きな原因で、第三者の司法に判断が委ねられた」というものです。これは記事冒頭の部分です。気象衛星、通信衛星を共同開発して作ったのが運輸省と気象庁ですが、それらを稼働運用するため、大気圏外にロケットで打ち上げてもらうように宇宙開発事業団に前金を払い依頼したわけです。しかし、めったにないことですが、宇宙開発事業団のロケット打ち上げは失敗してしまいました。当然、何十億円、何百億円もかけて作った衛星も宇宙の藻屑となってしまいました。そこで運輸省、気象庁は「残りのお金は払わない」と言い出したわけです。それに対して宇宙開発事業団は「ロケットは打ち上げたのだから残りの金は払って下さい」と主張して折り合いがつかず、司法に判断が委ねられました。昔、「国辱もの」という言葉がありましたが、このようなことは、欧米先進国では絶対に起こらないことなのです。なぜかというと記事の中にありますが、「失敗時の費用負担が計画書に明記されていない」、そんな馬鹿な契約書というのは欧米先進国では絶対にありません。人のやることに絶対失敗しないということはありませんので、失敗したとき残金は全額払わないとか、50パーセントしか払わないとか、そういうことを決めておくのがビジネスの初歩の初歩です。それを宇宙開発事業団、運輸省がやっていなかったということは考えられません。東大法学部卒、東大理学部卒など、日本の最高頭脳が揃っているわけですから。

もっとも、太平洋戦争を起こしたのも当時の最高頭脳といわれていた陸軍大学の卒業生でした。東大よりも難しいといわれた陸軍大学は、まず陸軍士官学校を優秀な成績で卒業し、一度部隊に配属されて、中尉、大尉ぐらいになったときに連隊の推薦を受けて大学を受験し、合格した人間が超エリートの陸軍大学に進むわけです。そして陸軍大学を5番以内で卒業すると天皇から軍刀がいただけます。ちなみに文官の方ですが東京大学では銀時計です。だいたい、日本を滅亡に導いた愚かな作戦を立てたのはその5番以内の軍刀組なのです。日本のエリート養成法は試験秀才を重んじており間違っているのです。何かの試験を受ける場合には必ず試験のコツというのがあるわけです。簡単な問題から先に手をつけて点数を稼ぎ、難しい問題は先送りをするなどですが、それが上手な人たちが秀才として今は霞ヶ関、昔は市ヶ谷台に集まっていたわけです。エリートにとって一番必要なものは物ごとにフレキシブルに対応できる能力だと思います。予想もつかなかったこと、教科書に載っていないことが起こった場合にどうするのかということですが、試験秀才はそれに対応できないのです。ところが、日本は戦前の失敗に懲りずに、まだそういう人材を育てているのです。

話を「言霊」に戻すと、日本では山本五十六ですら「日本は負けます。止めるべきです」とは言えなかったわけです。「1年は暴れて見せるが、その後どうなるかは分からない」というのは負けるということなのです。アメリカと戦う場合には海軍が中心となるわけですが、その海軍を代表する戦略家が「事実上負ける」と言っているのに戦争を止めることができなかったのです。それも「言霊」のせいです。つまり正直に言うと非国民にされてしまいますから、みんな本当の意見を言わなくなるのです。威勢がよく、嫌なこと不吉なことを考えようとしない、「負けたらどうするかなんて考えるのは非国民だ」というような人が出世するわけです。
だったらどうすればいいかということになりますが簡単なことです。「日本民族には昔から『言霊』という考え方があるが、これに惑わされないようにしよう」ということを子どものころから教育すればいいのです。先ほどの宇宙開発事業団の最新の科学技術を頭に詰め込んだ人たちが実は、根本のところで「言霊」という迷信に惑わされて、契約といえども不吉なことは取り上げにくい体質になっているのです。惑わされないためには、「『言霊』という迷信があるよ」ということを教育で教えればいいのです。私は「言霊」については昔から「もやもや」とした思いを抱き、TBS社に奉職しているときもずっと考えていたのですがよく分からず、歴史学者の本を読んでも結局分かりませんでした。だいたい歴史学者の先生自身がよく分かっていないのですが、私は数十年かけていろいろな試行錯誤をしながら、最近ようやく分かるようになってきたと思っています。

「言霊」の国の人は「平和、平和と言えば平和になる」と思っているのです。平和憲法を改正したら、彼らにとっては改悪ですが、「平和憲法を変えたら戦争が起こる」という気分になってしまうのです。だから変えられないのです。「言霊」の力を信じていますから、「世界は平和だ。日本も平和だ」という憲法を死守しようとするのです。
北朝鮮は昔からあのような体制で全然変わっていないわけですが、日本のある新聞は「北朝鮮は労働者の天国、民主主義国家」という嘘をバラ撒いていました。意図的に報道していたかも知れませんが、半分はこの「言霊」、即ち「嫌なことは見たくない」ということなのです。拉致された人たちが戻ってきて証言しましたが、「聞きたくない。見たくない。そんなことがある筈はない」といって、記事にもせず報道もしなかったのです。それが一人二人ではなく何人もの人が帰り、北朝鮮の責任者も認めたので、初めて拉致の事実を報道し始めたのです。小泉訪朝の大功績ですが、その直前まで「北朝鮮は拉致していない」と言っている政治家、文化人はいっぱい居たのです。信じたくなかったのでしょう。

 

二 「怨霊」に支配される日本人

次は結構厄介な問題でして「死」とも関連しますが「尊い犠牲」という考え方についてです。日本人は「尊い犠牲」を無駄にしてはいけないというふうに考えますが、その奥底に何があるかというと「怨霊信仰」というものです。日本は天皇が治める国というのが古代からの原則です。天皇は天照大神という太陽の女神、最高神の子孫であり、その子孫が直接治めるのが日本の国なので、日本人は「天皇を奉らなければいけない」という考え方の中でずっと育ってきました。そこで、天災、疫病、飢饉が起こったとき、神の子孫である天皇の霊力によって守られているはずの国家に、どうしてそのような災禍が起こるのかということになり、古代人は「怨霊」のしわざと考えたのです。「怨霊」というのは人が不幸な死に方、たとえば政治的に陥れられて憤死したりなどすると「怨霊となり、この世の平安を呪って祟りをなす」というような考え方が生まれたのです。

「怨霊は菅原道真から」というのが学者の見解です。平安時代の中期、藤原氏が臣下であるにもかかわらず「関白」という制度を作りました。「大臣」は職ですが「関白」は準皇族という身分です。「関白」となりますと臣を超えることになり、天皇の権限をそのまま代行できる、天皇をないがしろにして勝手に専横できる地位身分なのです。藤原氏は関白として散々横暴を繰り返したため、宇多天皇という方が怒り、優秀な官僚である菅原道真を抜擢して「右大臣」にまで昇らせました。ちなみに「関白」は雲の上の人ですが、臣下では太政大臣が一番上で、その下が左大臣、右大臣、内大臣となり、大臣は四人だけです。右大臣の上には左大臣と太政大臣がいますが、平安時代中頃になると藤原氏以外で大臣に昇った人はいないのです。宇多天皇は菅原道真を「右大臣」に抜擢することによって、藤原氏に対抗させようとしたわけです。ところが御身体の問題だったかと思うのですが、天皇を退位されて上皇になられました。すると、宇多天皇のあとを継いだ醍醐天皇が藤原氏に籠絡されてしまい、菅原道真は「悪い奴だ」ということになり左遷されてしまいました。右大臣を首になり太宰権帥に左遷させられたのです。「反逆を企てたので、本来なら一族郎党死刑にするところだが、罪一等を減じて左遷する」ということです。大宰府という役所が九州福岡の南にありました。朝鮮半島や中国大陸からの使者はまず九州に上陸しますので、日本側はそこで外交使節を歓待します。今でいうと外務省の出張所、迎賓館みたいなものが大宰府にあったわけです。ところが皮肉なことに、その頃中国の唐は衰えており、他ならぬ菅原道真が「あのような国に派遣しても意味がない」として遣唐使の廃止を建言し、それが受け入れられたあとだったので、大宰府はどちらかというと開店休業状態だったわけです。大宰府は一応国家を代表する迎賓館ですからトップは太宰帥(そち)、親王です。しかし親王は基本的に赴任しませんので、道真が太宰権帥(ごんのそち)、副長官としてトップということになるわけですが、先ほど述べたような大宰府の状況に加えて、元々無実の罪なのですから、道真は憤りのあまり死んだわけです。

その後、菅原道真が九州の地で無念の死を遂げたという知らせが京都に届いたあたりから、不思議なことが起こり始めました。まず、それまで一度も雷が落ちたことのなかった御所の、しかも真ん中の清涼殿に雷が落ちて藤原氏の人が死ぬなど、そのようなことが続くものですから、醍醐天皇は驚き「これはいかん」ということで、左遷を取り消し右大臣の上の太政大臣の位を追贈しました。それでも異変は収まらなかったので、とうとう神さまとして祀ることにしました。それが天神さまです。「なぜ天神か」というと雷を落としたからです。菅原道真の正式な神さまとしての名前は「火雷天神」とされ、これを祀った神社のことを「天満宮」と申します。もっともこれは大きな神社で、地方にある神社については「天神社」、「天神さま」と申します。菅原道真は最初、祟り神だったわけです。ところが日本には、恨みをのんで死んだ人が激しい「怨霊」となって祟ったあと、丁重に弔い申し上げれば、その「怨霊」はこの世を守ってくれる「御霊」になるという信仰があります。菅原道真は「御霊」になってくれたわけで、元々学者ですので今は学問の神様として尊敬されています。

ところが失敗した例があります。平安時代後期、崇徳天皇という方がおられましたが、父親の鳥羽天皇から冷遇されて、天皇を早く退位させられ上皇になりましたが、自分の皇子は天皇にしてもらえませんでした。そこで怒った崇徳上皇は、武士たちを巻き込んで反乱を起こすわけですが、それに対して朝廷側も後継者の後白河天皇が、平清盛、源義家を味方につけることによって勝つわけです。負けた崇徳上皇は、四国の讃岐の国、今の香川県に流されました。そこで上皇は怨念を募られまして呪いの誓いを立てました。「今後、この国は民が王となる。王が民に堕ちる」という呪いを立てて亡くなられたわけです。まさにその後は上皇の呪いどおり、平清盛の政権ができ、次いで源頼朝の鎌倉幕府ができて、それに逆らった後鳥羽上皇が隠岐の島に島流しになるというできごとが起こったわけです。そのような事件をとおして、崇徳上皇の「怨霊」としてのイメージが定着していきました。そして、700年後の幕末の時代に、今まで武家に奪われていた政権が天皇に戻ることになりました。このとき明治天皇はまだ少年でしたが、四国の香川県坂出市にある崇徳上皇の御陵に勅使を出し、神前で「京都にお戻りになって下さい」というお詫びの言葉を読み上げたうえ、その神霊を御輿に乗せて帰ってきたのです。そして、京都の蹴鞠宗家の公家、飛鳥井家屋敷の跡地に崇徳上皇の神霊をお迎えした神社を建てました。白峯神宮といいます。そのあと明治天皇は正式に即位されて元号を明治と改めました。

崇徳上皇がお亡くなりになったのが1164年で、それから800年経た1964年、東京オリンピックがあった年ですが、東京オリンピックの2ヶ月前、昭和天皇は勅使を白峯の御陵に派遣されました。御存知のように今でも天皇陵に対しては勅使が派遣されてお祀りをされているわけですが、何しろ歴代百何人もの御陵がありますので、通常は宮内庁の職員が代行するわけですが、このときは特に昭和天皇のご意向で高松宮殿下が同行されました。そして何を祈られたかといいますと、もちろんオリンピックの成功とわが国の平和を祈られたのです。それぐらい日本人というのは「怨霊信仰」、「御霊信仰」というものに深く動かされているわけです。

 

三 「怨霊信仰」と「御霊信仰」に引きずられた明治・大正・昭和の日本

そこで幕末以降の歴史を考えて下さい。幕末は国家の制度が不十分でした。欧米列国の帝国主義に対抗できる軍隊もなければ政治制度もなく、その結果不平等条約を結ばされてしまいました。これは日本の重荷になったわけです。経済に詳しくなくても関税自主権がないというのはどれほど酷いことか説明する必要もないと思います。貿易においては、自分の国の弱い分野に入ってくる「外国からの輸入品」に関税をつけることによって、何とか対抗できるわけです。関税自主権がないということは、たとえば、外国が日本の綿花産業を潰そうとして、集中豪雨的に自国の安くて優秀な製品を日本に持ってきたら、日本の綿花産業は死んでしまうわけです。このようなサポートをしないと円滑な貿易の発展などないわけです。考えてみれば明治以来の日本というのは、素人がプロゴルファーを相手にノーハンディでトーナメントを戦っていたようなものです。また、治外法権の問題もあります。外国人が国内で犯罪を行っても、日本の裁判所で裁判することができないのです。外国の領事に領事裁判権というものが認められていたのです。日本はこれらの不平等条約を改正するために何をしたかというと「近代化」です。当時のイギリスの言い分ではありませんが「商法も民法もない国と、どうしてまともな付き合いができるか」ということです。日本と関係改善するのを一番渋っていたイギリスがほぼ完全な条約改正に同意、即ち「貴国を一人前の国と認める」というようになったのは、日清戦争に勝ったときです。

今、戦争絶対反対というのは第二次大戦で300万人も死んだからです。それ以前は良きにつけ悪しきにつけ、戦争に勝つことによって日本の国権、国益が増大していたのは紛れもない事実でした。ここから目を背けてはいけないと思います。戦争をやれば当然人が死ぬわけで、そうすると「大日本帝国のために何人死んだと思っているのか。この国益は絶対守らなくてはいけない」というふうになっていくわけです。日本は日露戦争に勝ち、資源を蓄えて欧米列強に対抗しようとして、次に中国東北部の満州に手を出しました。そして、何とか満州国を独立させる形で事実上日本の支配下に置きましたが、それに対して国際社会は白い眼を向け、特にアメリカは激しい異議を唱えました。そのような国際情勢の中、日本では「二十と二十」ということがよく言われていました。20億円の国費の投入、今でいえば何兆円にもなると思いますが、それと20万人の兵士が満州のために死んでいったので、「この死は絶対無駄にしてはいけない」という世論ができていくわけです。

マスコミといっても、「国のため、民族のために耳の痛いことをきちんと言う」マスコミと、そうではなく、新聞が売れるからといって「誤った方向に煽る」マスコミと二つあるわけです。その例として「満州行進曲」という歌があります。今は忘れられていますが戦前の大流行歌です。朝日新聞が「満州を守ろう」というキャンペーンで、読者応募で作った歌です。次のような歌詞からはじまっています。「過ぎし日露の戦いに 勇士の骨をうずめたる 忠霊塔を仰ぎ見よ 赤き血潮に色染めし 夕陽をあびて空高く 千里曠野に聳えたり」です。日露戦争の旅順攻略戦では、何万人何千人という日本人が命を落としました。乃木大将も自分の息子二人を戦死させています。その激戦地、旅順には今でもこの歌のような塔が建っているのです。まだ壊されてはいないと思います。そして、最後の6番目として次の歌詞が歌われ、これが日本の世論となっていくわけです。「東洋平和のためならば 我らがいのち捨つるとも なにか惜しまん日本の 生命線はここにあり 九千万のはらからと ともに守らん満州を」です。軍歌には「爆弾三勇士」、「勇敢なる水平」などプロの詩人が作った歌もあるのですが、これは朝日新聞が公募で作った歌です。明治時代から始まったのですが、国民が精神的に戦争に参加するための「軍事歌謡」と私は言っています。軍歌というのは軍隊内で正式に軍人が作ったもので、周りの人が応援するために作ったのは軍歌とはいわないと私は思います。この歌の作詞者の大江素天さんという人は朝日新聞の記者です。自ら作詞して、それをプロの作曲家である堀内敬三に依頼しました。そのときの条件は「あまり難しい旋律にしないように。できればお座敷で、三味線で歌えるような歌にしてくれ」というものだったそうです。まさに注文どおりの歌ができ、大変流行りました。レコードでいえば何万枚も売れたというところでしょう。今は、戦争映画にも出てこないのでご存知ない方が多いのですが、実際この歌が日本の世論を作っていったのです。要するに「満州という素晴らしい国家のために日清戦争、日露戦争でどれだけ多くの人が死んだと思っているのか。そういう人たちの死を無駄にしてはいけない。そのためにも満州を生命線として守るべきだ」という世論が形成されますと、「いやそうはいっても日本国の方が大事なのだから、場合によっては満州を放棄すべきだ」ということが言えなくなってしまったのです。

歴史が示すように、結果としてどんどん悪い方向に進んでしまいました。「なぜ日本が欧米との戦争に入っていったか」ということについては、ルーズベルト大統領の下でハル国務長官が蒋介石などの謀略に乗せられて、「日本は中国から完全に手を引け」という最後通牒、「ハル・ノート」を突き付けてきたからなのです。実は昭和天皇はみだりに戦争することには反対であり、東条英機首相兼陸軍大臣には「戦争はしないように」と言っていたのですが、このお言葉に背き東条英機が戦うことを決断した理由は、あとで述懐していますが、「英霊に申し訳ないから撤兵はできない」ということなのです。「英霊」と「御霊」は同じ意味だと思っていただいて結構です。日清戦争、日露戦争で満州国のために倒れた十数万人の兵士たちが、もしこの満州を放棄するということになったら全員「怨霊」になってしまう。そんなことができるのかということなのです。このような考えを右翼的と考える人がいるかも知れませんが、右翼も左翼も関係ないのです。今、護憲論者とか平和論者とか呼ばれている人たちが何を言っているかというと、「戦争で何百万人死んだと思っているのだ。この死は絶対無駄にはできない。だから憲法を変えてはいけない」と言っているわけです。それは東条首相と同じ考え方なのです。批判している相手と同じことをしているのです。なぜそのような馬鹿なことになるかというと、「日本人はそういう精神的なもので動かされる」ということを知らないからです。ですから、歴史教育の中で「怨霊」、「御霊」ということをしっかりと教えなければいけないのです。そうすれば、日本人の意識は劇的に変わると私は思っています。

 

四 「穢れ(ケガレ)」の意識がもたらした明治以前の「平和国家日本の二重構造」

今日は「憲法改正を阻む日本人的発想」ということで、これまで、一番厄介な話を先送りにしているような形になっていますが、でも先送りのままでは帰りません(笑)。皆さんは「天照大神 アマテラスオオミカミ」はどのようにして生まれたかご存知ですか。日本では意外に知らない人が多いのですが、これは拙いと思います。今や、キリスト教徒ではないという人でもアダムとイヴが「神さまが土をこねて作った」ということは知っているわけです。日本は天皇を中心として歴史が進んできたわけですが、この天皇の始祖である天照大神が「どのようにして生まれてきたか」は知っていて当然ではないでしょうか。

天照大神のお父さんは「伊邪那岐命 イザナギのみこと」で、お母さんは「伊邪那美命 イザナミのみこと」と言われていますが、古事記では誕生には関係していないことになっています。なぜなら、イザナミはアマテラスの誕生の前、「火の神」を出産するときに火傷をして亡くなってしまうからです。そして「黄泉国 よみのくに」に行ってしまうのです。地下にある真っ暗な世界、死後の世界なわけですが、ただそれをキリスト教や仏教でいう地獄と混同されては困ります。神道ではまったく考え方が違うのです。仏教やキリスト教においては、地獄というのはこの世で何か悪いことをした人がその罰として行くところですが、黄泉の世界は違います。天皇であれ神さまであれ、死んだらみんなそこに行きます。昔の人は死を恐れることが甚だしく、死というのはあらゆる不幸の根源だと思っていたのです。「心の世界」、「宗教の問題」であり、その根源となるものを「穢れ(ケガレ)」と言っていたのです。つまり人は死ぬと「穢れ」になり伝染していくのです。すべての不幸の根源ですから、取り除かなくてはいけないという考え方があったわけです。黄泉の国というのは「死の穢れ」に満ち満ちたとんでもない世界なのです。そこで、イザナギとイザナミですが、イザナギは何とか愛するイザナミを取り返そうと思って、この明るく輝く太陽の世界から地下の黄泉の世界に降りて行くのです。で、ようやく苦心してイザナミに会うことができたイザナギに、彼女は開口一番「遅かった」と言います。「私はこの国の物を食べてしまった。『穢れ』に染まってしまった」と言うのです。それを聞いてイザナギが松明を掲げて見たのは腐敗して蛆がたかっていた彼女の姿だったのです。男というものはしょうがないもので、「それでも君を愛す」と言ったらよかったのですが、百年の恋もいっぺんに冷めて逃げて行くわけです。イザナミは追いかけますが、イザナギは逃げに逃げて明るい世界に帰ったときに何をしたかというと、「私は『穢れ』にまみれてしまった」ということで、「穢れ」を祓うため、「禊 みそぎ」を行うわけです。清らかな水、池や湖ではなくて水が流れている滝とか川のようなところがよいのですが、そこに入ると「穢れ」は落ちるのです。古事記の一説を紹介します。「禊ぎ祓ひたまひき。是に左の御目を洗ひたまふ時に、成れる神の名は天照大御神。次に右の御目を洗ひたまふ時に、成れる神の名は月読命。次に御鼻を洗ひたまふ時に、成れる神の名は建速須佐之男命」です。このようにしてイザナギの子3姉弟、「天照大神 アマテラス」、「月読命 ツクヨミ」、「建速須佐之男命 スサノオ」が生まれたのです。

アマテラスというのは「死の穢れ」を完全に払しょくした、まったく「穢れ」のない状態で生まれた、最も清らかな神さまなのです。ちなみに死に準ずるものはもうひとつあります。「血」です。普通の分娩だと人間は血まみれで生まれてきます。ですから、古代人の考え方では「血の穢れ」と「死の穢れ」は同一になるのです。今でも、女性は土俵に上がってはいけないということを言う人もいますが、これは昔からの信仰なのです。で、「穢れ」を払うためには「塩を撒く」とか「お祓いをしてもらう」という簡略形もありますが、一番よいのは水の流れに入って「禊」をすることです。ですから日本人は「嫌なことは水に流そう」とよく言うのです。日本人社会ではよくある話ですが、汚職で捕まった議員が再び立候補して当選したときに、何と言うかというと「選挙民の『禊』を受けてまいりました」です。さらにたとえになりますが、「私は終戦直後ソビエト軍に捕まってシベリアで強制労働させられた。ロシア人が憎くてたまらない。いつか仕返ししてやろうと思っている」と言った人がいたら尊敬はされません。日本人なら何と言えば尊敬されるのでしょうか。「私はかつてソビエトに行ってひどい目に遭わされた。けれどもその憎しみは水に流して、今後日ロ友好のために頑張ろうと思う」と言うと、何と立派な人だろうということになるわけです。笑いごとではなくて、それが日本人の理想像なのです。

ということは武器をもって人を殺す「強者 つわもの」というのは駄目なのです。しかし、日本の建国においてはそうではありませんでした。服(まつろ)わぬ者、逆らう者は居るのですから、神武天皇は自ら剣を持って倒したわけです。中大兄皇子、後の天智天皇も、天皇家の地位を脅かそうという蘇我入鹿の首を刎ねたわけです。ところがだんだん逆らう人がいなくなると、元々天皇は、自分が最も「穢れていない者」の子孫ということを誇りにされているわけですから、剣を持つことを止めてしまったのです。中国でもヨーロッパでも帝王は必ず剣を持っています。日本の三種の神器の中にも剣がありますが、平安時代以降、天皇は帯剣をしなくなったのです。ではどうしたかというと、桓武天皇は征夷大将軍の坂上田村麻呂に対して剣を渡し「蝦夷を征伐するように」と命じたわけです。「穢れた仕事」は自分のやることではないということでしょう。そのうちに朝廷の官僚、貴族たちも「穢れ」の意識を強く持つようになり、「武」を嫌がるようになりました。そして、それなら都落ちした地方で「源のなにがし」と名乗って「切った張った」をしている奴がいるから、そいつらに任せようかということで、帯剣、軍事警察権を預けたのです。軍事警察権というのは国家の基本です。軍、警察がいなければ国家は成り立ちません。

ところが日本という国は島国で外敵に襲われることがほとんどなかったということもあるのでしょうか、平和になった途端にまず軍備を撤廃したわけです。平安時代の中頃のことです。平安時代の初期の頃はまだ坂上田村麻呂が、征伐に行くたびに徴兵して戦っているわけです。軍といえば軍と言えるのですが、しかし、もともと「穢れたもの」は要らないと思っているので、実際にその必要がなくなった平安時代の中頃になるとその軍でさえいなくなるのです。それどころか警察もいなくなるのです。警察は何をするところかというと、人を殺したとか「穢れた罪人」を捕まえたり、場合によっては首を切ったりするわけです。罪人であればあるほど処刑したりしたら「穢れ」で汚れるわけです。そこで平安時代の中頃から日本は死刑を執行しなくなります。処刑する人がいなくなったのです。先ほどの菅原道真だって無実の罪ですが、形式的には国家反逆罪ですから、中国だったら親族一同皆殺しです。日本だって奈良時代の頃は、長屋王という人、この人も無実の罪ですけれども反乱を企んでいたということで一家ともども自殺に追い込まれています。死刑当たり前は世界の常識なのですが、日本の平安時代は末期まで死刑の執行例はありません。

日本は神さまに祝福された国だという人がいますが、あながち嘘ではないと思えるのは、もし平安時代の中頃にモンゴルが攻めて来たら日本は大変なことになっていたでしょう。何しろ国軍がいないのですから。おそらく占領され、蹂躙されたかも知れません。ひょっとしたら今我われは中華人民共和国の日本省で、中国語をしゃべっていたのかも知れないのです(笑)。考えてみれば恐ろしいことです。平安時代に続いて鎌倉時代になりましたが、朝廷はなぜ権力を幕府に奪われたかというと、国家の要である軍事警察権を放棄したからです。それを拾い上げて用いたのが鎌倉幕府です。しかし幕府も自分たちは「穢れた存在」であるという意識はありますから、朝廷を滅ぼしてトップになるということは夢にも考えません。朝廷はあくまで奉っておいて、自分たちが汚れ仕事、雑巾がけをやるということで満足します。これが朝廷と幕府の併存体制ですが、他の国では類を見ません。他の国は、権力を握った人が軍事警察を握るのですが、日本は神道に基づき「死は『穢れ』で、あらゆる不幸の根源である」という思想があったものですからそういう体制になりました。ですから、日本では「大政奉還」ということが可能なわけです。これまで700年に亘って武士が持っていた軍事警察権でしたが、幕末に「お預かりしておりましたが、これを謹んで天皇家にお返しします」ということになりました。

日本の封建時代の政治は「軍事警察権を預かっていた」という形式で成り立っていたわけです。実際には武士が台頭し、朝廷から実質上の権限を次々に奪っていったのですが、その第一歩は朝廷が軍事警察権を手放したところにあるのです。最初は坂上田村麻呂など軍事官僚に任せていましたが、彼らも次第にそれを嫌がるようになったので、結局自警団である武士たちがそれを担うようになったということです。歴史の辞典には「平安時代中頃から朝廷は、地方の武士団の長に軍事や警察を任せるようになった。たとえば、源義家は反乱の鎮圧を命じられ、東北に赴き地位を固めた」ということが書いてあります。何となく分かったような気がするけれども、よく分かっていないと思うのは実はこういうことなのです。たとえば、ある県では絶対に「穢れ」なんかに触れたくないということで、警察官の成り手がいなくなってしまった。困った日本国総理は、その県にある広域暴力団△△組に「お前たちならやってくれるだろう」ということで任せたという形です。だけど△△組だって子分を食べさせなくてはいけないから「何か身分とか報酬をください」ということで、身分としてはたとえば「陸奥守」、後には征夷大将軍とかという地位を与え、「食い扶持」については、お前たちが作ったものをこれまで国の税金として取り上げていたけれども、自分たちで収納することを認める」というような形にしたわけです。それが鎌倉幕府です。

幕府というのは中国語で、元々は皇帝のいる都から遠く離れた土地に設けられた臨時の前進基地です。前進基地にいるのが軍団の長の将軍で、軍団は異民族と戦っています、ところが金や人が足りなくなり、徴兵、徴税したいと思っても、これは国家の根本であって勝手にはできません。普通はできませんが、何千キロも離れた前進基地、幕府にいる将軍との連絡は、早馬を飛ばしても何ヵ月もかかりますので、結局「お前に任せる」ということになります。つまり鎌倉幕府というのは、形の上では最初は東国、関東以北の地方を監視する軍団の長である征夷大将軍が臨時に駐屯している場所だったのです。そこでは「天皇から正式に任命された征夷大将軍は税金を取ってもいいし、徴兵してもいい」という形だったのです。つまり「穢れ」の意識は「朝廷」と「武家」による支配の二重構造を生み、わが国の体制、特に防衛体制の構築に大きな影響を与えることになります。

 

五 憲法改正を阻む日本人的発想、「穢れ」の思想

話を戻しますと、モンゴルが攻めてきたとき日本は征夷大将軍が幕府を創設した時代、要するに軍事政権が日本国政府として仕切っていたわけで、それが功を奏したのです。何しろ、強力な鎌倉軍団がいたからモンゴルの侵略に勝てたわけですから。
でも面白くないと思った人たちがいます。鎌倉武士団の武力で国難を払いのけたといっても、武力というのは「死や血に穢れたもの」ですから、そのようなもので勝ったとは絶対に思いたくなかった人たちがいました。天皇やその周辺の公家たちです。彼らは「そもそも清らかな国土である日本が、そういう外敵にやられるはずがない。だから軍事力で勝ったのではない、軍なんていうのはそういう力を持っていない」と思っていたのです。それでは何で勝ったのかというと「神風」なのです。つまり軍による抑止力とかそういうものを絶対に認めたくない人たちは神がかりになるしかないのです。でも現実には軍事力、抑止力がないと国は守れないわけです。

ということはもうお気付きと思いますが、現代の護憲派は、「神風」を頼む鎌倉時代の公家たちと同じなのです。要するに、現実の軍事力が平和を担保する抑止力となるということは絶対に認めたくないのです。何故なら「穢れる」からです。絶対に認めたくないから、鎌倉時代の貴族たちは「あれは神風で勝ったのだ」と言い、今の護憲派の方々は「日本国憲法或いは我われの平和な心が日本を守ったのだ」と言っているのです。絶対にその事実を認めたくないので、日米安保条約とか在日米軍、自衛隊によって守られたのではないと言っているのでしょう。子どもみたいなものです。ですから、子供みたいな者をどうして直すのかというと教育しかないわけです。日本人が、これまで述べてきた迷信に惑わされてきたことは事実なのですから、その事実を事実として教えればいいのです。

このように歴史的に考察すると、どうしても天皇に触れないわけにはいきません。靖国神社の宮司のようなことを言うつもりはありませんが、今上陛下がいろいろな島を訪れて慰霊に努められているというのは大変尊いことだとは思います。けれども、長い日本の歴史を見ますと「天皇家というものは現実の武力というものをあまり認めたくない傾向にあること」は事実なのです。そして、それを無理やりやろうとしたのが明治時代なのです。その結果として、初めはよかったのですが、次第に武力、軍部が暴走して先の大戦まで突っ走ってしまったのです。どうして、そのようなことになってしまったのでしょうか。明治の初年には、国を二分するような征韓論とか、或いは憲法をどうするかなど、いろいろな議論が起こりました。これを見て、軍を代表する山県有朋は「軍隊は政争に巻き込まれてはいけない」と思って「軍人勅諭」を作り、軍人を天皇の直属にしたのです。つまり国会のコントロールから外して天皇の直接統制下に置き、同時に「軍人は政治に関与してはならない」としたわけです。このように、天皇への絶対服従、そして天皇の命による政治への不関与ということを謳っていれば、「軍人が政治に関与して国を動かして国を滅ぼすなんてことはないだろう」と思ったのですが、完全に逆になりました。
その理由は、何といっても議会のコントロールを外した結果、軍の独断専行を止めることができなくなったことが大きいのですが、もう一つの理由として、異論があるかも知れませんが、軍人は戦争において戦死することをも覚悟して戦いますので、次第に次のように考えるようになったのではないでしょうか。「政治家、官僚というけれども、彼らは自分の命を懸けてまで天皇にご奉公はしない。我われは命を懸け、死ぬところまでご奉公しているのだから、我われの主張を彼らは受け入れるべきだ」と。山県有朋の意図は完全に裏目に出たという歴史の皮肉ですが、その底流を流れている「穢れ」の思想、そこから派生してきた「武力、戦争に対する偏った見方」など、「日本人には日本人独自の考え方がある」ということを、歴史として全く教えなくなった歴史学者を含む日本の教育に大きな責任があるのでしょう。私は今、このことを大変残念に思っています。

最近本を書きました。今まで申しあげたことはすべて『逆説の日本史』という23巻の日本通史の中に書きこんできましたが、今更23巻全部を読んでも大変だし、どこから読んでいいか分からないという人もいますので、そのガイドブックを作りました。そこの冒頭でも述べている話ですが、お帰りになったら高校の教科書で見ていただければ分かりますが、今、日本の教科書の時代区分は次のようになっています。まず「古墳時代」というのがあって、そのあとに「飛鳥時代」、「奈良時代」、「平安時代」、「鎌倉時代」、「室町時代」、「安土桃山時代」、「江戸時代」と続きますが、「奈良時代」というのは近畿の奈良、「平安時代」は京都の平安京、「鎌倉」は関東の鎌倉、「室町」は京都の室町、そして「安土桃山」は近江京都、「江戸」は東京というように政権の所在地を示しているわけです。ところが「飛鳥時代」というのは、日本書記にも書いてありますが、首都は移転していたのです。天皇一代ごとに我われの先祖は都を移していたのです。それは飛鳥周辺の範囲に収まり切れずに大阪の難波宮、近江の大津宮などに拡がっています。ですから厳密にいうと「飛鳥時代」というのは言い方としてはおかしいのです。それではいつから首都が移転せずに固定されるようになったのかというと、これははっきりとしていて、持統天皇のときなのです。

持統天皇とは、歴代天皇で初めて遺体を火葬にさせた方なのです。それまでは全部土葬なのです。エジプトでなぜ王様をミイラにするかというと、来世で肉体が復活すると信じているからです。それがもし火葬に代わったら大事件で、歴史学者はそこに注目しなければいけないのですが、日本の歴史学者は、持統天皇がまず間違いなくそういう大英断をされたと考えられるにもかかわらず、史料がないということで何にも言及していないのです。持統天皇が決断するまでは、「穢れ」の思想が大きく支配していて、天皇が亡くなると「穢れてしまった都」は捨てるしかないということだったのですが、一代限りで首都を捨てていったら、いつまで経っても日本は発展しないということに気が付かれた持統天皇が「私の遺体は火葬にしなさい、仏教的な火葬にすれば『穢れ』も祓われます。都は動かしてはいけません」というようなことを言ったのではないかと私は思っています。それは想像です。実際に持統天皇は火葬に付されていますし、それまでずっと土葬なのに息子が勝手に親でもある天皇を火葬にするということはできませんから、明らかに持統天皇のご意思、お言葉はあったはずなのですが、歴史学者はそういうことには史料がないとの一点張りで関心を示さないのです。歴史を研究し、日本人の日本人的発想を理解し重要視すれば、自然とそういう発想になるはずなのですが。

 

六 世の中を変える歴史教育への期待、「よいところは残し、悪いところは変える」

これまでは、どちらかというとマイナス面だけ申し上げてきましたが、勿論プラスの面もありますので、それを申し上げなければいけません。日本人はめったに喧嘩をせず「和を保つこと」を重視するというのは「怨霊」です。下手に相手を殺して「怨霊」になられたら困るということもあり、できるだけ穏やかに物ごとを解決しようとします。ですから、談合もなくならないのです(笑)。税金を節約するために無理やり競争をさせてコストを下げるというのが今の法律ですが、日本人は「そんなことをしなくても、みんなで話し合って業界の和を保てばいいじゃないか。お互い助け合うのが日本人だ」と思っていますので、なかなか談合はなくならないのです。別に日本人が法律を守らない人間というのではないのです。

もうひとつお話ししたいのは、すでに亡くなられた上智大学の渡部昇一先生が「和歌の前の平等」ということをおっしゃいました。これは名言だと思います。ギリシャローマの古典というのは、ホメロスとか天才の詩ばっかり載せていますが、日本は違います。万葉集には天皇の歌と並んで防人(さきもり)の歌も載っています。防人というのは国境警備隊の最前線の兵士です。どんな時代でもそうですが、国境の最前線に派遣されるというのは貧しく身分の低い人なのです。その人たちが雲の上の天皇と同じ土俵で歌を詠んでいるのです。こんな素晴らしい国は世界中にありません。今でもこの伝統は受け継がれ、「歌会始め」という宮中行事があります。秋にお題が出て、日本中の短歌の詠める人が応募して当選すると宮中に招かれ、天皇、皇后、皇太子が詠まれたあと、召人というプロの歌人も来ますが、その人たちと同じ庭で詠むことが許されるのです。これは日本の伝統で、なぜそのような伝統があるかというと「言葉には強い霊力がある。言葉は慈しまなければいけない」という日本独自の思想があるからなのです。それがあまりにも高じると、山本五十六のように「事実を事実として言えなくなる」ということになってしまうのですが、「よいところは残し、悪いところは変える」ということが大事なのです。そしてその第一歩は何度も言いますが「知る」ということ、「教える」ということなのです。日本の歴史を今一番読んで欲しいのは誰かといいますと、高校の歴史の先生なのです。「自分たちが教えていることが如何におかしいか」ということに気が付いていただけると、世の中も少しは変わるのではないかと私は思っています。
ということで、質問の時間もありますので、私の話を終わらせていただきます。
どうも御静聴ありがとうございました。

平成三十年十月十七日 公益財団法人日本国防協会 国防問題講演会講演録より