ロシア外交と日ロ関係の行方
NHK解説委員
石川 一洋 氏

NHKで解説委員をしております石川です。
本日は自衛隊OBの方も参加しておられるということですが、私も昔、1984年から1987年までの間、青森県の三沢で勤務をしておりまして、航空自衛隊の方には大変お世話になりました。自衛隊の三沢基地は日米共同使用の基地ということで、当時増強を続ける極東ソビエト軍に対抗するため、アメリカ空軍のF16の配備が行われており、それに関連していろいろ取材をさせていただきましたが、その時に感じたのは、軍事とか国防というのは、やはり現場で勉強するのが一番だということでした。

 

一 北方四島を訪れて感じたこと ~日本人が共感する北方四島の自然~

私はロシアの取材は長かったのですが、北方四島に行く機会はつい最近までありませんでした。モスクワ勤務が1992年から1996年までと、2002年から2007年までの9年間あり、その後は出張ベースでモスクワなどに行くことはありましたが、北方四島についてはそれまでお誘いをいただく機会もなく、NHK解説委員になってから2014年に初めて行きまして、今年で3回目になります。取材というよりも日ロ関係、北方領土問題の専門家としての調査を主体に、今回も7月6日から10日までの間、北方四島のうち国後島と択捉島へ、エトピリカ号という「ビザなし」渡航専用の船で行ってまいりました。そこでまず感じたのは「距離的な近さ」です。根室・納沙布から歯舞群島、或いは羅臼から国後島を見ると、目の前に山々が見えますから確かに近いと感じますが、実際に船で行ってみるとそのことが実感されます。それほど足の速い船ではありませんが、国後まで3時間で着きます。択捉島はさすがに遠くなりますが、それでも6~7時間で着きます。途中に、国後水道という海流の早いところがありますのでだいぶん揺れますが。国後では、島に上陸はしても夜は船に戻って船の中で泊まります。陸地で泊まるには届け出が必要になります。ロシアの管轄権に触れる場合があるので、そのような面倒を避けるために船中泊ということになっています。国後では古釜布湾の沖合からすぐ近くに羅臼岳を望むことができますが、夕暮れ時には夕日が沈む大変美しい光景を見ることができます。

地図で国後、択捉そして知床を見てみますと、三つとも方向が同じです。北東の方向に向けて長く伸びていて風景も似ているわけです。特に国後と知床はそっくりです。国後から根室海峡を経て知床の方に向かう地形は、山が続いているようなものです。海の中でも地形の連続性は続き、太平洋プレートが近くで沈み込み、活火山も多くあります。ちょうど国後の沿岸を通っていた時に海鳥の一種のエトピリカが船上を飛んで行きました。また、タスマニアから長距離を飛んできたと思われるハチボソミズナギ鳥の大群が船のそばに現れました。南半球からこの夏の時期に北に飛んでくるのです。さらに国後を北上しますと爺爺岳(チャチャダケ)が見えてきます。この山は根室、羅臼からも遠望でき、北方四島で一番高い山で1、822mの標高を有する活火山です。たしか1970年代に一度爆発を起こしていますが、その時は、羅臼とか根室でも火山灰が降りました。

次は択捉ですが、高田屋嘉兵衛という人が19世紀に切り開いた国後から択捉に向かう航路を通って行きました。国後水道という流れの速いところを通りましたが、1000トン級の船でもかなり揺れて、風呂に入っているとザブン、ザブンといった状況でした。それでも今の船は快適になっていますが、昔の一回り小さい船などはもっと大変だったと思います。択捉では内岡沖を通り、チリップ山というきれいな山を見ました。内岡の隣の紗那というところが、戦前の日本統治の中心でありまして、エゾ松などの自然林が一面に広がっています。
北方四島における日本人というのは、島の中のいたるところに住んでいたわけです。小さな入江の中にも100人くらいの集落があり、そのような状態で、四島全部で1万7千人の人が住んでいました。今のロシア人の人口もおよそ1万7千人と言われていますが、住み方が全然違います。国後でしたら、古釜布、泊、あとは国境警備隊が駐在する瀬石、軍施設のある二木城の4ヶ所です。択捉は紗那、内岡、天寧など数ヶ所にしか人は住んでいません。択捉島は四島では最大で、日本で最も大きい沖縄本島よりも大きい島ですが、中心部にしか人は住んでいないのです。他のところは無人の地です。国後島も沖縄本島よりは大きい島ですが同様です。他のところはどうかというと自然がそのまま残っているのです。人がほとんどいませんから、生態系で頂点に立つヒグマの天下になっています。

ここでは船は接岸しません。我われが乗っていたエトピリカという船もそうです。そして、我われが艀に乗って岸に上陸している間、艀に残ったロシア人船員は釣りをしています。彼らの楽しみでもありますが。カレイなどは入れ食い状態で無数に釣れ、内岡沖ではオヒョウが目当てになります。また、オオカミウオという魚がいますが、これがこの時期の彼らの最大の釣果になります。
先日、視察も兼ねた旅行で羅臼に行きましたが、観光船に乗って2時間ぐらいするとシャチを間近に見ることができます。このように見ることができるのは日本では他にはなく、カナダの東海岸かコロンビアあたりまで行かないと見ることはできません。知床に行くと、道のそばにヒグマがいますが北方四島も同様で、自然が多く残っています。人が少ないから自然が豊かだという考え方もありますが、これほど自然が豊かだから多くのヒグマがいるとも言えるわけです。いずれにしろそのおおもとは流氷なのです。オホーツク海北部のアムール河から豊富な養分を含んだ流氷が毎年のようにやってきて、海が豊かになりサケが増えて、そのサケをヒグマが食べて、更にその余慶を受けていろいろな鳥類が繁殖し、世界的にみても極めて豊かな自然というものが残されているところです。このように、知床から北方四島、更にその北のウルップは一つの生態系を成しています。現在、日本は知床の環境を世界自然遺産として厳密に保護していますが、一方、北方四島ではロシアによる乱開発が始まっており、自然への影響が懸念され始めています。このような中、日本の自然保護団体は、北方四島全体、更にはウルップまで含めたところをユネスコの世界自然遺産にするべきではないかという提案をしています。
今回北方四島を訪問し、一人の日本人として「ここは日本列島と全く同じ地形、自然だな」としみじみ感じました。

 

二 新しい発想に基づくロシアへのアプローチ ~「名」と「実」をめぐる駆け引き~

それでは、政治の話に入りたいと思います。昨年5月の日ロ首脳会談以降、安倍首相は「新しい発想に基づくアプローチ」ということを言い始めています。私の専門は米ロ関係からエネルギー問題に亘りますが、昨年一年は「日ロ関係はどうなるのか、どのように動くのか」という取材など、ほぼ日ロ関係に集中していました。
安倍首相が提唱した「新しい発想に基づくアプローチ」とは一体何なのでしょうか。このことを調べて視聴者の皆さんに解説することが私の仕事ですが、それは交渉の根幹に関わることでもあり情報のガードが固く、なかなか全体像が掴めませんでした。そのような中で、昨年12月の首脳会談が終わった時点から「ああそういうことか」と腑に落ち始めました。いろいろな報道がありました。例えば、「二島返還」、「共同統治」という文字が読売新聞とか日経新聞に掲載されましたが、私はそのような記事が出るたびに、それは「新しい発想に基づくアプローチ」とは少し違うなというふうに感じていました。そのようなことは、既に今まで繰り返されてきたアプローチなのです。仮にも総理大臣ともあろう方が「新しい発想に基づくアプローチ」というからには、そこには間違いなく「従来にない新しいもの」があるはずです。そこで、一体「何が新しいのか」ということをずっと取材してきたわけです。

ではまず「古いアプローチ」とは何でしょうか。それから説明します。「まず北方四島に主権という線を引き、そこから島内での協力を行う」ということです。端的な例は、1998年の川奈会談で橋本総理が提案した「川奈提案」に見られます。これはどういう提案かというと、北方四島、つまり択捉島とその先のウルップ島の間に日ロの国境線を引きますが、施政権は当分の間ロシアに残すというものです。四島返還の中でも最大の譲歩となるカードを、我われは1998年の4月に実は切っていたわけです。これは非常に分かりやすいものです。皆さんの年齢になると返還前の沖縄のことを覚えていらっしゃる方も多いと思いますが、施政権というものは警察権、軍・行政権というものを含みます。つまり、主権という「名」はこっちにあるけれども、「実」はむこうに残すという最大の譲歩を行ったわけです。ところが、この提案に対してロシア側は拒否したのです。日本側としては、これ以上は譲れないという譲歩案でしたが、ロシア側は蹴ってしまいました。
仮定の話になりますが、もしもあの時ロシアが受諾していたとすれば、日本国民は四島返還が実現したと思ったことでしょう。でも実態は何も変わらないのです。ロシアの国境警備隊は存在していますし、「わっ、島が日本に戻ってきた」と思って日本の漁船が四島の領海に入ろうとすると拿捕されてしまいます。すると、今度は逆に日本国内がこのような事態に納得するのかという話が出てきます。

しかしよく考えるとこの案は深い示唆を含んでいます。主権が返ってくるということは、非常に大きな意義があります。北方四島は日本から極めて近くにありますが、不法占拠されている状態では、日本側は何も手出しができません。島内に入っていくことができないのです。そこで、この提案をもしロシアが受け入れたとすると、その瞬間に四島はいわば「合法占拠」になります。勿論施政権は向こうにあり、ロシア法の下にあるわけですが、合法ですから日本企業が次々に入って行き、企業活動を行うことができます。その結果、島の日本化が進み、ロシアはほどなく施政権も日本に返すことに同意するであろうと、そのような狙いを持っていたわけです。つまり、「国境線の確定とともに経済で四島を日本化する」という戦略でしたが、ロシア側が拒否して実現はしませんでした。

その後も、2001年の「イルクーツク声明」とか「ツープラスツー(外務防衛担当閣僚会議)」とかの動きもありましたが、結果として見ると、主権という観点から見ると、双方の立場はずっと正反対で、今も基本的にその立場は変わっていません。我われは北方四島をわが国固有の領土と当然のように思っています。ところが、ロシアは第二次大戦の結果、正当にロシアの領土になったと思っています。お互いに一切妥協できないままにここまで来ています。戦国時代でしたら、戦争で取られたものは戦争で取り返すしかないということですが、今の時代においては平和が絶対ですので、「平和裏な交渉によって領土問題を解決する」ということでしょうが、結果として、状況の進展は全く見られません。
安倍首相は日ロ交渉にかなりな熱意を持っています。「領土問題を解決して日ロ関係を動かしたい」と。もっとも、彼の頭の中には、日ロ関係だけではなくて、憲法改正をはじめ、慰安婦問題或いは竹島問題など、戦後残された問題を全て自分の代で解決して次の世代には残さないという信念みたいなものがあると思われます。北方領土問題についていえば、憲法改正と並ぶ重要課題と位置付けていると思います。しかしながら両国の原則的立場は対立したままになっています。そのような時に、1998年頃の外交交渉の経緯をつぶさに研究した人が安倍首相の前に現われたのでしょう。逆転の発想による新しいアプローチです。
よく外交官の方が「自分の時は」とか「自分の後になって」とよく言われますが、結局、外交交渉というのは結果が出なければ駄目なのです。ですから、この「新しい発想のアプローチ」も今の段階では評価できません。

 

三 逆転の発想 ~まず北方四島の日本経済圏化を~

逆転の発想というのはどういうことかいうと、川奈提案の逆をいくわけです。まず四島にこちらから入って行って、島を日本の経済圏に組み込み、実態面で日本化してしまうという方法を取るわけです。これは面白いアプローチです。
交渉においては、占拠している側は比較的楽なわけですが、占拠されている側の方は、領土問題を含み法的立場をいかに守っていくかということで、これは非常に難しい交渉なのです。外務省でも条約畑の人材がこれらの交渉に当たっていると思いますが、これらの方々には是非とも頑張って欲しいと思っています。
この交渉がうまくいくと、ただ単に日ロ関係ということだけではなくて、世界中の領土紛争の推移に影響を与えると思います。これらの紛争は多かれ少なかれ日ロの場合と同じなわけです。世界にはキプロス、旧ソビエトとか実際に血が流れているところが多くあり、占拠した方も占拠された方も、難民として追い出した方も追い出された方も、両者が歩み寄って合意した方が絶対に住民のためにはいいと分かっていても、なかなかうまくいきません。しかし、もしもこの方法がうまくいくと、例えばキプロス或いは旧ソビエトのナゴルノ・カラバフ、沿ドニエプル、クリミア、そういうところにこのアプローチが使える可能性が出てきます。それほど他の国ではやっていないアプローチなのです。

このアプローチはかなりのリスクを伴うと思いますが、私は今のところは、これを応援したい、何とかうまくいって欲しいと思っています。北方四島をめぐる我われの戦略で、どんな状況においても日本が持っている絶対的な有利性は、「圧倒的な地理的近さ」にあります。ところが今まで、四島には一切手を付けてきていません。不法占拠の状態でしたから当然ではありますが、経済活動などには踏み込んでいません。地理的近さを生かしていないという状況がずっと続いていたわけです。本音を言えば、直ぐにでも四島を我がものとしたいところですが、力で取るわけにはいきませんから、まず経済で支配し、その後に主権も取り返したいということです。これは、リスキーといえばそのように言えると思います。
ロシアの中では、最初は新しいアプローチを歓迎していたのですが、最近、特にプーチン大統領支持の強硬派の中には警戒論が出ています。これはトロイの木馬ではないだろうかということです。日本人がニコニコ笑ってやって来る時は「用心しろ」ということでしょうか。羊の皮を被った狼じゃないかと思っているのかも知れません。我われは狼などではなく、非常に礼儀正しい民族ですが。それにしても、トロイの木馬というのはなかなか言い得て妙と思いますが、ただ本当にうまくいくかどうかは分かりません。それは、これからの外交交渉、政治力というもので頑張って欲しいと思っています。

択捉には「ギドロストロイ」という大きな水産会社があり、岸辺近くに10部屋くらいの小さなロッジ風高級ホテルを経営していますが、そこが今は、日ロの共同経営になっています。もともとは日本に対して警戒論が強かったのですが、今や共同経済活動については積極的な姿勢を示しています。彼らはなかなか頭がよく、あの島で水産加工とか観光とかいろいろやっていますがやはり限界があるのです。そうなってくると、日本と手を組んだほうが得だという経済的な思惑が出てきます。
それでは今後どうしたらよいかというと、要は経済というのは人と物と金の流れということです。例えば、北方四島を経済封鎖しようとしても、日本のスーパーに行くとたくさん海産物が並んでいるわけですが、下手をすると、北方四島産のウニ、ヒラメ、紅鮭などが既に入っている可能性があります。特にウニあたりは歯舞産とか書かれて売られているかも知れません。北方四島から日本に水揚げすることは認められているのです。

ずいぶん前からになりますが、北方四島を日本固有の領土としながらも、税関上では外国とみなしています。そうすると、今どういうことが起きているかというと、裏の経済が繋がっているのです。日本側から闇で金を渡して、海産物を収穫したロシア漁船に日本まで持って来てもらうという、裏の闇共同経済というものができています。ですから、日ロのこのような人々からすると、「むしろ今のままの方がいい」ということになるわけです。彼らはそのような観点から、この共同経済活動には抵抗してくる可能性があります。まず人・物・金の流れを透明にして、そして日ロ特に日本の立場を侵さない制度というものを作って、我われは四島に堂々と入って行って活動し、四島のロシア人たち、一万七千人の人たちが日本に来て買い物ができるという仕組みの構築が望まれます。
ロシアの人たちを見てみると、魚があれほど豊富にあるのに、店では新鮮な海産物を売っていないのです。不思議なことだと思っています。このあたりの道東では主に酪農をやっています。日本最大の酪農産地の道東ではアイスクリームが美味しいです。ハーゲンダッツと言っていますが。それに使用するミルクはこのあたりのミルクを使っています。何故かと言いますと、このあたりでは塩分・ミネラルを豊富に含んだ牧草のせいで大変濃いミルクが採れるのです。群馬県にあるハーゲンダッツ高崎工場には、ここからとれたミルクと北海道別海町から採れたミルクが送られています。

日本側には道東に限らず、北海道全体で豊富な農産物があります。一方、北方四島では農産物はサハリン或いはロシア本土から持ってくるわけですが、サハリンからは1日半、ウラジオストックからは3日かかります。それらと比べるとはるかに北海道のほうが近いわけです。そうすると、例えばこの制度ができた場合、北方四島の農産物はまちがいなく北海道産が席捲することになります。自動車についてもほとんどが日本製ですが、これも北海道から直接持ってくるわけではありません。ウラジオストックを経由して日本の中古車が北方四島に入っているのです。そうすると、部品とかは北海道から供給する方がよいわけです。あとガソリンの問題がありますが、サハリンやウラジオストックには製油所はありません。あるのは、ハバロフスクとコムソモリスク・ナ・アムーレで、そちらからガソリンを運んで来ています。共同経済活動を行う場合、その基盤となるエネルギーが重要になります。石油製品というのは、ロシアが産油国で日本が輸入国ですが、生産する値段というのはそんなに変わりません。室蘭あたりの製油所から持ってきたほうがはるかに安いわけです。また、四島のロシア人たちが北海道に来ることができる航路を整備しておきます。つまり、ロシア人が軽易に根室あたりで買い物をして帰ってもらうという経済圏を創りたいわけです。このように、そうこうしているうちに北方四島の方から日本に近づいてきて、主権の問題を自然に解決したいという、なかなか面白い戦略だろうと思いますが、それではリスクはないのでしょうか。

 

四 領土問題をめぐるロシアとの交渉 ~交渉解決を促す動機~

主権の問題を解決するインテンシブが出てくるかどうかが重要な課題になります。つまり、川奈声明の逆をいったから、主権の解決が遅くなるというリスクもあるわけです。そこのところが、このアプローチを批判する人が最も注目するところなのです。それにはやはり、安倍・プーチン会談で解決してもらうしかないわけです。首脳交渉で、北方四島だけではなく、日ロ関係全体というものを見ていく中で主権の問題を解決していくということです。北方四島だけを見ると、どうしてもゼロサムゲーム、どっちが取ってどっちが取られたということになってきます。プーチンは典型的なロシアの保守政治家です。保守政治家というのは、ソビエト時代だけではなくロシア帝国時代も含めて「ロシアはロシアであるべきだ」と考えています。また、ロシアにとっては安全保障が一番大事だというふうにも考えています。ロシアのアイデンティティを守りたいと考えているのです。このような保守政治家と対峙しているということを念頭に置いて交渉に臨まなければなりません。北方四島をどう解決するかという問題はともかく、保守政治家であるプーチンにとって、日ロの間で平和条約を締結することにはこのようなメリットがあるということを理解してもらえればよいのです。

日ロも含めて北東アジアということを考えた場合、主要なプレイヤーは日・米・中・ロの四カ国です。日米というのは同盟関係にあります。中ロは戦略的パートナーシップとして軍事面を含めて関係を深めています。日中、米ロはどちらかと言えば関係は悪いわけですが、日中関係というのは最大の貿易相手国でもあり、歴史的なつながりも深いものがあります。米ロ関係も今は最悪最低と言われていますが、核保有国の立場に立てば、双方の利益は一致しています。世界に対して米ロの戦略核によるバランスは崩さないというスタンスは変わっていません。ですから、米ロというのは対立していて関係が悪い時でも戦略的対話というルートがあります。冷戦時代、ロシア・ソビエトは最大の仮想敵として我われにとっては最大の脅威でした。その後ソビエトが崩壊してロシアとなり、一時衰退しましたが時を経て、今はだいぶん回復してきています。軍事力も回復してきていますがソビエト時代ほどではありません。今の日ロの状況を見ると、まだ平和条約はありませんが、それでは敵かというとそうでもありません。友人かというとそうでもありません。貿易高を見てみると、多い時でも300億円で今は200億円を切っています。日中の30分の1ぐらいの量です。隣国ではありますが、年間の観光客は相互で6万人とか7万人ぐらいです。日中間の300万人と比較すると異様に少ないです。

このように、日ロ関係は敵でもなく友でもなく、何か特に問題がある関係でもありません。ロシアにとって日本が脅威かというとそうではありません。確かに最近のロシアの動きは気になりますが、日本にとって今の最大の脅威は中国の拡張政策です。では、ロシアが正面きっての脅威ではないとすると、「ロシアとの関係はこの程度でいい」という考え方が出てきますが、そうした考え方もひとつあると思います。「日米同盟を維持して中国に対峙しつつ、ロシアとは着かず離れずの関係を続ける」という考え方です。政策として当然あり得る選択です。なぜかというと、北方領土問題というのは、こちらが100パーセント解決しようと思っても相手がある話で、なかなか難しいものがあります。例えば6対4で妥協したとしても、お互いに国内から批判が出るでしょう。つまり政治家にとって、領土問題で相手と合意するということは、プラスになるかどうか分からないわけです。プラスになる可能性もあるけど、激しい逆風になる可能性もあるわけです。
プーチンが訪日しただけで多くの記者がやって来ます。根室にはその時だけでも200人くらいの記者が集まるでしょうし、ワイドショーなどいろいろな番組も放映されます。領土問題に続き平和条約を結ぶとなったら、どういう反応を世論がするのか、日本国内は勿論ロシアだって分からないのです。そうするとお互いに政治家として「この問題は危ない、リスクだ」と考え、では今のままでもいいのではないかと思うようになっていきます。そうするとこの問題は簡単な話になります。お互いに原則論だけ言っていればいいのですから。そうなると、事態は動かないことになりますが、それはそれでいいのだという考え方もあるわけです。

 

五 ロシアにとっての中国と日本 ~日本を意識し始めるプーチン~

しかし、安倍首相とプーチンは「リスクをとっても日ロ関係を何とかしたい」と考えているように思います。どういうことかと言いますと、安倍首相の頭の中には「日米同盟が一番大事」ということがあります。日本単独で防衛することはできません。したがって、日米同盟を強化しようとしますが、ただ「いつまでも日米同盟だけでいいのか」という思いもあります。日本とアメリカの利益がいつでも一致するかどうかは分かりません。日本を中心に置いて世界というものを見ていくという考え方からすると、やはりバランスということが大事になります。そうすると、今まで利用していない日ロというカードが欲しいと思い始めても不思議ではありません。

プーチンにとって、現在中国と対立するオプションはないでしょう。軍事力を見てみると、中国軍がどの程度強いのかということは未知数なところがありますが、量の面からは中国軍が圧倒しているのではないかと思っています。いずれにしても、ここ200年の間、ロシアと中国は向かい合ってきているわけです。私は中ソ対立という時代に極東のウラジオストク、ハバロフスク、ブラゴベシチェンスクを取材したことがあります。それは、ゴルバチョフが北京を訪問した冷戦末期の1989年頃ですけれども、その時鄧小平が突きつけた「極東ソビエト軍のモンゴルからの撤退」という申し出をゴルバチョフが飲むわけです。その時モンゴルにいたものすごい数の戦車部隊が撤退して行ったのが印象的でした。極東には多くの軍隊が配置されており、それらは、日米同盟に対抗するためということもありますが、ダマンスキー島での中ソ軍事衝突に見るように、中国に対する抑止というのも大きな理由なのです。中国に対して核抑止がどのくらい効くのかは分かりませんが、ロシアは中国と対決した場合、再びアムール河沿いに軍隊を貼り付けなければいけません。これはロシアの今の国力・経済にとっては大きな負担になります。米ロ対立ということであれば、核抑止の現態勢を維持することで何とかなりますが、中ロ対立になると、通常兵器というものをかなり強化する必要があります。これは大変厳しいことになります。そうすると、ロシアにとっては中国と結ぶ、中国との良い関係を維持するしかないわけです。これがロシア外交の根本的な方針となっています。

ロシアにとって中国との良好な関係を維持するというのは「自明の理」なわけですが、そのことが誇り高きロシア特に軍人にとっては課題ともなっています。中国に飲み込まれるということが受け入れられるかどうかという問題があります。私は受け入れられないと思います。その時、プーチンとしては両者のバランスというものを考えなければなりませんが、そうすると、北東アジアには日本という存在があるということに気付きます。日本を利用することによって、ある可能性というものが生まれます。今まではプーチンだけではなく、ゴルバチョフもエリツィンもそうですが、日本というものを利用していません。
安倍総理はソチで、対ロシア経済協力の8項目プランというものを提案しました。日本から見たら経済協力ということです。支援ではなくて協力ということです。その対象はロシア人の生活環境の改善とか、あるいはエネルギー、インフラとかいろいろな分野に亘り、全部で8項目あります。これをロシア側は経済面での協力というふうに捉えるでしょうが、日本からすると経済だけではありません。私が常々言っていることですが、日本企業が極東シベリアに入って工場を建てるということは、プーチンにとっては安全保障上歓迎すべきことです。中国企業がいろいろな土地を買って工場を建てたりすると、これは経済面だけではなく安全保障上の面でも脅威になります。ロシアにとっては、領土問題はありますが、日本企業がいくら入ってきても全く脅威にはなりません。むしろ、ロシア経済を上向きにさせて、ロシアの人々が極東に住みやすくなるという望ましいことになります。

ロシアには面白い伝統があります、例えばドイツのシーメンスという企業がありますが、あれはロシア帝国のお抱えの軍事商人だったのです。また、外国企業であるノーベル兄弟も実はロシア帝国のお抱え商人として大もうけをしました。外国の企業が入ってきてもあまり嫌がらないという体質があるのです。日本というのは、確かにロシアとの間に領土問題がありますが、日本がユーラシアにおいて領土的な野心を持ち拡張政策を行っているということは微塵もないわけです。ロシアにとって理想的なパートナーは、西においてはドイツ、東においては日本ということになります。ロシアにとって本質的に脅威となるのは中国とアメリカです。そうするとロシアにとって、もちろん中ロ、米ロ関係が良いにこしたことはありませんが、安定した平和を維持するためには、ドイツと日本との良好な関係を持つことが必要だということになります。

プーチンの頭の中には「ロシアとは何か、それはユーラシア国家である」という認識があるわけです。ロシアの紋章は双頭の鷲といって、東と西を向いた鷲ですが、ロシア帝国の時から同じ紋章を使っています。「ヨーロッパとアジアをつなぐユーラシアというものが我々の存在だ」という強い意識があるわけです。そうすると、それを安定ならしめるためには、東と西に信頼できる友好国を持たねばなりません。特に、今、西との関係が悪くなっているという状況においては、彼らは東に向こうとしていると思われます。プーチンの頭の中には、中国だけではなくて日本というものが入ってきていると思われます。勿論インドとか東南アジアとか他の国のことも考えているでしょう。安全保障上のバランスを考えていますから。自分の直ぐ隣に拡張主義的な国があれば、その国が最大のパートナーとしても、それとは離れた違う国とも仲良くしたいということでしょう。ですから、中国と仲良くしていながら、ベトナムにディーゼル型潜水艦を売ったりとか、インドとの軍事協力を深めたりということも起きてくるわけです。

 

六 北朝鮮ミサイルをめぐる四カ国協議を ~北東アジア安全保障の構築に向けて~

日本の防衛を見た場合、今非常に懸念されるのは、北朝鮮のミサイル開発なのです。核とミサイルの開発ですが、これは安全保障上の大きな問題になりかねません。いやもうなっていると言えます。テポドンとかアメリカに対する北朝鮮のICBM(大陸間弾道ミサイル)は、確かに脅威といえば脅威ですが、今日本が曝されている脅威に比べると、「ままごと」みたいなものと言っていいでしょう。北朝鮮の200~300発というノドン或いは改良型ノドンが既に日本列島全域を覆っているという現実を見ると、言ってみれば、冷戦時代の西ヨーロッパの状態に近似しています。当時の西ヨーロッパと同じ状況に今の我々は置かれているのです。当時、東西対立の戦略核抑止が働いていた時代、ソヴィエトの西側への侵攻に対してアメリカはそう簡単には動けません。その時、中距離弾道ミサイル(RSD-10)も含めてソヴィエトの軍事的脅威に対抗するために配置を決めたのが、高い精度を有することで恐れられていたアメリカの中距離核弾道ミサイル「パーシングⅡ」だったのです。

今、日米同盟は当時と似たような状況に置かれています。ただ、北朝鮮はICBMを持ったとしても、アメリカを攻撃しようと思っているわけではありません。恐らく、アメリカに手出しをさせない、行動を起こさせないという目的で行っているのでしょう。当然、我われとしてはミサイル防衛を強化します。日本は憲法によって「攻撃力を持たない」ということになっています。憲法の制約がなければ、攻撃力を強化するということも考えられますが、今はミサイル防衛の強化が優先です。ところが、韓国にTHAAD(終末高高度迎撃ミサイルシステム)を配備しただけで中国とロシアは猛反発しています。私は韓国に配備したTHAADはそれほど有効ではないのではと思っています。距離的に見ると、THAADというのは、本当は日本に配備した方がいいのではないかと思っています。北朝鮮のミサイルという極めて現実的かつ具体的な脅威に対する当然の対応として、日本に陸上型イージス(イージス・アショア)を配備しようとすると、恐らく中ロは反発してくるでしょう。ロシアがどうして反発するかというと、これらの配備はアラスカとかヨーロッパなど、ロシアの周りに次々と配備されるアメリカのミサイル防衛の一環で、ロシアの核抑止力の低下を狙ったものだと、彼らは彼らなりに思っているわけです。中国は自分たちの核に対する抑止力低下を狙ったものだとみなします。

するとどういうことが起きるかというと、北朝鮮の核とミサイル問題は、周辺諸国の共通の課題だという認識が生まれるかも知れないということです。北朝鮮の核とミサイルは、日本にとって一番の脅威であるのは自明ですが、中国、ロシア、アメリカにとっても共通の脅威であるとみなし、立場の違いは乗り越えてある程度は協力してもいいような状況が生まれるかも知れません。日米対中ロという対立の構図が深まり、更にはそれぞれ別々に行動するようになると、北朝鮮への歯止めが利かないばかりか、北東アジアの緊張関係が更に強まる可能性があります。ただ現在、現実問題として北朝鮮という具体的な脅威があるわけですから、これを四カ国で押さえることがうまくいけば、北東アジアの安全保障を高めることにもなるかも知れません。

今は我われが北朝鮮のミサイルの脅威に曝されていますが、次に脅威を感じるのは中国だと思います。何しろ、北京の中南海をその視野においていますから。私が北朝鮮の立場でしたら中南海に照準を合わせ、その次に、中国の指導者が立ち入りそうな先に対し準備します。中国は多分そのことを感じているのでしょう。ですから、中国がロシアから購入したS400(超長距離地対空ミサイルシステム)を台湾海峡に配備するか北京の近郊に配備するかを確認することで、どこを脅威と感じているかがはっきり分かります。
ロシアが問題になってきます。ロシアは北朝鮮について融和的な態度を採っています。そもそも北朝鮮を脅威とは感じていないのです。モスクワは北朝鮮から離れているということもありますが、間違って撃たない限り、北朝鮮のミサイルは自分たちの方には飛んでこないと思っているのです。しかし、北朝鮮という具体的な脅威があるわけですから、ミサイル防衛について、日ロ或いはアメリカも含めて北東アジアの安全保障の枠組みについて対話を行う意義を理解するようになるでしょう。その際、ただそこだけに留まるのではなく、外交問題としてもう少しスケールの大きい枠組みにして話し合っていくことが大切です。ただ、中ロ問題一つをとっても難しいことは言うまでもありません。また、米ロのお互いの不信感も強いものがあります。

しかし、北朝鮮のミサイルを前にして、中国も今、この枠組みに乗ってくる可能性があると思っています。ただその時の問題は、中国自身の核戦力が異常に不透明という中で、中国とミサイル防衛の協力、例えばデータの交換等ができるのかということです。中国自身がほかの国から見て脅威となっているわけですから。しかし、北朝鮮がやったからこうするという対処法ばかりですと、北東アジアの安定はますます崩れていくと思います。北朝鮮問題をきっかけにして四か国がテーブルに着き、お互いに安全保障上の懸念を率直に話し合う枠組みの形成に努めていく必要があります。それが北朝鮮に対して一番の抑止力になりますが、多分北朝鮮はそのようなことはできないと思って「たか」をくくっているのでしょう。
注目しなければならないのは、ここ数年の北朝鮮のミサイル技術の長足の進歩です。正直に言いまして私は、ペンシルミサイルみたいな最初のものをみて馬鹿にしていました。「こんなものを打ち上げてどうなるのか」と思っていましたが、ここ数年の進歩を見てみますと、北朝鮮に何かが起こっています。調査を行い、そのような動きを止める制裁というものも具体的に検討していかなければならないと思います。

 

七 日米同盟を背景とするロシアとの関係改善 ~共同経済圏構築に向けて~

なかなか難しいことかも知れませんが、そうするとやはり、日米同盟が大事ということになります。その上で、中ロを具体的に巻き込んでいく必要があります。それは、プーチンに対して安倍首相がどのように説得するかということにかかっています。領土問題をめぐっては、我われと彼らの立場は正反対でありますので、ロシアと日本の全体の利益というもう少し大きな話に持っていく必要があります。北東アジアの安全保障の話がそうですが、エネルギーについても、ロシアは今、北極海航路というものを創ろうとしているわけです。これができると日本もヨーロッパとの間に最短航路ができるということですので、日本としても取り込んでいきたい案件です。
今、中国は非常に積極的になっていますが、ただ、ロシアは中国の「一帯一路」政策が北極海まで進出することは必ずしも歓迎していません。そこまで中国に牛耳られたくはないと思います。北極圏に近いヤマル半島のガス田というものを、今中仏ロで開発していて、工場建設について日本も協力しています。また、「ヤマル2」という更に大きなガス田の開発プロジェクトも計画されています。日本がインドと連合を組んでロシアに協力を持ちかければ、プーチンは必ず乗ってくると思います。日本とインドをヤマルプロジェクトに入れること、北極海航路を開くこと、これらはプーチンにとっては安全保障にもなるのです。サハリンからのパイプラインも重要な課題です。今、LNGで運んでいるものをパイプラインで運ぶのです。LNGとパイプラインは両立します。どういうことかというと、日本にとってガスと電気が自由化された場合、LNGのガスに比べてパイプラインで運んでくるガスの方が安いのです。ポイントは、LNGを輸入しつつパイプラインでガスを持ってくることです。日本ではLNGは広く普及していますが、ガスについては、日本国内のパイプライン網が少ないという問題があります。

日本の資本も参加していますから、サハリンのガス田からパイプラインを消費地の東京まで直接敷くことが可能です。また、日本にとっては安全保障にもなります。東日本大震災の時に仙台のLNG基地が破壊されましたが、仙台には幸いにも新潟からのガスパイプラインがありましたので、仙台のガスは二ヶ月で復旧しました。東京の場合は東京湾がありますから津波の被害はそう大きくはなりませんが、例えば、どこかの国のミサイルがLNG基地を破壊した場合、今のように原発が止まっている状況では電気の供給は全部ガスになりますので電気が止まることになります。
東京へのパイプラインでは、まだまだ数パーセントしか供給できていません。そこで、サハリンからの大きなパイプラインが一本あれば、これは日本の安全保障にとっても、在日米軍にとっても望ましいということになります。そしてロシアにとっても、日本との結びつきを強め、日本という最も安定的に高く買ってくれる購買者を得るという利点が生まれます。このようにお互いの利益になる話というのは単に経済だけでなく、安全保障にもよい影響を与えます。
日ロ関係については、防衛対話或いは実際の協力というものが非常に重要になってきます。2018年3月にはプーチンの3選がかかっています。したがって今年は仕込みの年として、水面下で動くことが多くなり、2018年が勝負の年になるでしょう。私も皆さんとともにしっかりと注目していきたいと思います。
以上で私の話を終わり、皆さまからのご質問をいただきたいと思います。

平成二十九年市七月十二日 公益財団法人日本国防協会 国防問題講演会講演録より