平成とは何だったのか、令和はどうあるべきか~平成史の振り返りを通じた次世代日本への道~
文藝評論家 日本平和学研究所理事長
小川 榮太郎 氏

皆さま、こんにちは。ただいまご紹介いただきました小川榮太郎です。本日は「平成とは何だったのか、令和はどうあるべきか 平成史の振り返りを通じた次世代日本への道」という演題でお話をさせていただきます。

 

今、日本民族は「存続か滅亡か」の瀬戸際におります。これは大袈裟に言っているのではありません。私は安倍政治、特に外交・安全保障政策を高く評価し、なかでも世界首脳の中における安倍総理のステータスに敬意を表していますが、政治・社会全体を見た場合、今のような「浮ついた調子或いは幼稚な建前論」が続くと、令和年間で日本は確実に終わってしまうと思っています。残された時間は多くありません。「これまでのやり方を大胆に変えるか、それとも諦めてしまうのか」、現在の日本人は一人ひとり、この重大な決断を迫られていると思っています。

「わが国は沈み始めている」という深刻な状態を国民の皆さんに知らせる役割は知識人や政治家にあります。私もその一員として「ごまめの歯ぎしり」ではありませんが、1週間前に『平成記』という本を出版させていただきました。これを「平成の通史」として、平成という時代がどのようなものであったかを振り返り、平成の負の遺産を引きずってはいけないということを皆さんにご理解していただきたいと思います。

 

一 世界に例を見ない日本の「改元」制度 ~改元をチャンスに変えた明治~

日本には「改元」という世界に例を見ない素晴らしい伝統があります。「平成」から「令和」へ向かう今、自らの歩む道を見直すチャンスが与えられているのです。過去私たちは昭和の改元、平成の改元をうまく生かすことができませんでした。近年、改元という重要なチャンスをものにしたのは「明治」だけです。明治の改元は、徳川幕府の力が限界に近づき欧米列強から開国を迫られる中、江戸時代の終焉と明治天皇のご即位が重なり、日本は多くの危機を克服して近代化への道を歩み始めました。

明治の改元は非常にうまくいきました。大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、山県有朋はヨーロッパ・アメリカを視察・留学し、世界を肌で感じて「世界の中の日本」という視点を身に付けていくわけです。しかし、ただ海外に出て行けばいいというものではありません。大正・昭和の時代、日本の官僚エリートは全員留学組ですが、「世界の中の日本」という視点、ワールドワイドな構想を持つことができなかったわけですから。

明治改元後、日本は20年ほどで帝国憲法を作り帝国議会を発足させました。これは15年で鉄道を敷設したことよりもずっとすごいことです。帝国憲法を詳細に読むと、伊藤博文をはじめ井上毅など帝国憲法作成に係わった人たちが、世界史における「立憲主義、新しい近代国家のあり方」をどれだけ理解していたかが分かります。世界では今でもどこかの国で軍事クーデターが行われていますが、憲法による政治体制を安定させるという大変難しいことをいとも易々と成し遂げたのが明治の改元なのです。

 

二 世界史の大変動と結びつく昭和の改元 ~チャンスを生かし切れなかった昭和~

昭和の改元は世界史の大変動と結びついています。大正年間の1917年、第一次世界大戦が終結に向かう中、ロシア革命が起こってロマノフ家が廃絶され、大戦終結と同時に、ドイツ・プロイセンのホーエンツォレルン家、オーストリアのハプスブルグ家も同様の運命を辿りました。このように、ヨーロッパで王朝が終焉を迎えている事態に、皇室を戴く日本は最大の関心を寄せなければならかったのですが、当時は日清・日露の戦争で勝って大国意識を強め、悪く言えば増長し、第一次世界大戦では漁夫の利でアジアのドイツ領を手に入れました。そして大正に入って、平和を享受しながらも世界史的な転換を強く意識することはありませんでした。当時世界ではソ連共産主義が勢いを振るい始めていました。共産革命が成功して計画経済は当初順調に進展していましたし、暗部とも言える粛清の実態は西側諸国にはほとんど知らされず、西側の多くの知識人は共産主義に対して大きな幻想を抱いていました。ヨーロッパの共産化も真剣に懸念されていた時代でした。

このような共産主義の跳梁と並んで、新興国としてアメリカと日本が浮上してきました。大統領共和制の新しい国アメリカと、天皇制を戴く古い伝統の国日本です。世界で大国の仲間入りをした日本はどのように行動したのでしょうか。まず治安維持法を制定して共産主義を弾圧しました。今の教科書や歴史書では悪いことのように書いてありますが、私はそうは思いません。大日本帝国憲法に基づき天皇を奉戴している国体に反する革命を画策する行動を抑えるのはある意味当然とも言え、当時の政府は最低限の対処をしたということでしょう。私は文芸評論家を自負していますが、政治作家に分類されているらしく、今回著した『平成記』は、平成の時代を文学から社会思想まで幅広く網羅して書かれた初めての「平成の通史」と言えますが、政治書に分類されて歴史のコーナーには置いてはもらえないので大変困っています(笑)。

ここで昭和の指導層を見てみますと、世界的視野で見識を有する政治家の名前を思い出そうとしても難しいわけです。例えば昭和最初の総理大臣は田中義一です。それから若槻礼次郎、濱口雄幸、犬養毅と続きます。いずれも国内的には今の政治家よりは風貌も立派でそれなりの存在感もありますが、世界の中で見たらどうでしょうか。当時日本は五大国の一員として、第一次世界大戦後の次の時代の覇権は日米が担うのではないかと言われていたのですが、彼らの姿から当時の世界の動きは見えてきません。世界の中の日本とはとても言える状況ではありませんでした。

文藝評論家として見れば、あの頃は志賀直哉、谷崎潤一郎、横光利一、川端康成と素晴らしい作家が出ています。しかし、今挙げた作家のうち、国際的な視点を持って執筆活動を行った作家は横光利一ただ一人です。彼は大きなビジョンを持っていましたが、ただ作品は面白くないので今ではあまり読まれておらず忘れられがちになっています。例えば、長編小説「上海」は当時の国際都市、世界の坩堝だった上海を舞台にした革命小説で、昭和初期に書いています。それから大東亜戦争中は「旅愁」という、日本とパリにまたがる世界規模の小説を書いています。虐げられた貧しい人にスポットをあてたプロレタリア文学、小林多喜二の「蟹工船」もいいのですが、「日本という国をどのように世界に位置付けるか」、「世界史の中で日本をどう捉えるか」という視点を持った作家或いは学者が極めて乏しい状況でした。

 

昭和に入り、世界でファシズムと共産主義が台頭する中、明治改元に匹敵する「新しい国のあり方」を求めて国体の練り直しが必要でしたが、国際的視点から離れた内向きの思考のまま国家の指針を見失い、戦争の泥沼に嵌って行ってしまいました。この辺の事情については私の著書『戦争の昭和史』に詳しく書いてありますので、ご関心があれば一読していただきたいと思います。

少し付け加えさせていただくと、戦前の日本が戦争に突入して敗戦に至ったのは、アメリカのルーズベルトやコミンテルンの陰謀に嵌められたという議論が以前からあり、最近保守論壇でもよく見られます。確かに近衛政権の中にスパイと言われるような人たちがいたのは私も知っていますが、たとえ日本が工作員に嵌められたとしても、それは自らの責任であり他に転嫁するようなものではありません。

日米戦争は日本が自ら選んだ戦争だと私は考えます。それはあの戦争の過程、特に南方に進出していく過程を見ると明らかです。また、当時の情勢は混沌としていて日本としても勝算が全くなかったわけではありませんでした。同盟国であるドイツがイギリスを屈服させるという見通しが一般的だったのです。今になって「ナチスドイツと組んだ日本は強大なアメリカととんでもない戦争を始めた」と言われますが、当時のアメリカは平和国家、非軍事国家だったわけで、確かに豊かな資源と優れた工業・技術力を持っていましたが、他国と大規模な戦争を行ったのは対日戦が初めてで、戦争準備を始めたのは開戦後です。あくまで仮定ですが、ナチスドイツがソ連と融和政策を維持して電撃的にイギリスを降伏させ、その間に日本が奇襲攻撃で南方に進出し、イギリスの拠点であるシンガポールを占領して南方の資源を一気に獲得することができたならば、日本がアジアで共栄圏を構築できたかも知れません。

太平洋戦争に至る前のシナ事変も同様です。果てしない中国大陸の中で蒋介石を追いかけて行ったために戦況が泥沼化してしまったわけですが、あの時、まだ敵ではなかったイギリスと手を組んで蒋介石を挟み撃ちにしていたら、シナ(中国)との間に一種の和平が成立していたかも知れません。そうすると反共の蒋介石との妥協により、日本の南方進出はより確実なものになっていたでしょう。これらは何も空想を言っているのではなく、当時の世界情勢をすべて検討していくといろいろなシナリオが有り得るということです。

ところが結局はそのような冷徹な外交戦は行われず、国内ではファシズムと共産主義の熱気に煽られて暗殺が多発し、果てには天皇の重臣を志のある軍人が殺害するという「同士討ち」まがいのことまで起こりました。天皇を支える政府の重臣と統帥権のもと天皇に忠誠を誓う軍人がお互いに協力し合ってこの国を盛り立てていかなければならないはずが、最も激しく憎み合うという、異様な「イデオロギーの暗雲」が昭和初期の時代を蔽っていたのです。

 

三 平成で失われたもの ~中国に大きく遅れをとる日本、国家観を喪失していく日本~

では平成はどうかと言いますと、平成改元も驚くべきことに世界史的な変動と係わっているのです。昭和天皇の崩御と、アメリカのブッシュとソ連のゴルバチョフによる冷戦終結宣言は重なっているのです。1989年1月に昭和天皇崩御、10月にベルリンの壁が崩れ、12月に冷戦終結宣言が行われました。そしてソ連、ワルシャワ条約機構がその後の2年間で消滅していきます。

中国では、1989年6月に天安門事件が起こっています。胡耀邦という民主化に理解のあった指導者が亡くなり、胡耀邦追悼デモが若者の間で起こり次第に拡大していきますが、鄧小平はこれを徹底弾圧して多くの犠牲者が出ました。革命前夜とも言える情勢でしたが、その後、江沢民体制に移行して沈静化に向かいました。

これを我々は当たり前のように見ていますが、武力をもって民衆を制圧してでも体制を守ろうとする凄まじい国家意思がそこにあるということを学ばなければいけません。間違っていれば共産党体制が崩壊していたかも知れない状況の中、中国はみごとに生き延びて、今や延命どころか世界の覇権を狙おうとするところにいるわけです。

平成元年に中国の国防費はドル換算114億ドル、日本は倍以上の280億ドルでしたが。現在中国は2300億ドル、日本は454億ドルです。平成の30年間を通じて中国は国防費を20倍にしています。日本はずっと縮小していたものを第二次安倍政権になって初めてプラスに転じ、その後7年連続して増大しましたが、現在やっと1.6倍です。GDPに至っては、中国は冷戦終結直後には日本の7分の1の貧困国でしたが、それが今や日本の4倍です。平成が示しているのは、衰退しても当然だった貧乏社会主義国家の中国が、たった30年で日本の数倍の超大国に変貌しているという現実です。今の日本は平成が終わり令和の新時代を迎えても、この平成の現実を正面から見据えることなく、極めて厳しい状況に対する反省や新しい国家再建の気運が何ひとつ感じられないたるみ切った状態です。放っておいたら日本は中国に併合されてしまうかも知れません。

 

平成の振り返りは非常に重要ですので今少し説明させていただきます。共産主義に勝利した自由主義社会の最大の勝者として平成をスタートした当時、世界企業ランキング上位50位の中に日本企業は32社入っていました。上位10社には8社がランクインしており、アメリカを押さえて圧倒的な経済超大国として君臨していたのです。しかし当時の実態は、個人、企業ともにバブル景気に浮かれ、「どのような国家を目指していくべきか」という観点が全く存在しない状態でした。「国家云々というのは右翼だけのことで、大切なのは国でも共同体でもなく個人なのだ」という思想が蔓延していました。

冷戦終結前のマルクス主義が健在の時代は、東京大学をトライアングルの頂点とする大学の先生方が北京に視察に行き「中国共産党が如何に素晴らしい国づくりをしているか」を絶賛し、日本が如何に遅れているかというような議論をしていた時代でした。しかし、共産主義が敗れマルクス主義が衰退すると知識人たちは、今度は「国家という枠は消滅していく存在」という思想を広めていきました。若い世代に多く見られる「地球市民」、「グローバルなことはよいことで、国家は悪だ」という考えです。「地球市民」という言葉はマルクス主義が退潮した頃から流行し始めたのです。

確かに国家は対立や戦争の原因になりますが、国家があり、人々の生活を守る行政や国防・警察機能のような地域文化を守る防護壁を抜きにして私たちの暮らしが成り立つはずはありません。ところが知識人と言われる人たちはマルクス主義に替わる「ボーダレス国家論」、国家を否定する議論を展開して国民の目を国家という存在から逸らし続けてきたのです。その結果平成年間には「この国をどのようなゴールに持って行くか」という議論はなされず、例えば「政治改革」というような当面の目標しか掲げて来なかったのです。政治改革をスローガンとして掲げても「最終的にどのような国を目指すのか」、「その目標はいつ、どのようにして達成するのか」ということを一度も検証したことがないのです。新聞やテレビでも、政治改革と言いながら選挙制度改革ばかりを議論していたのが当時の実態でした。

 

四 平成年間で進む日本の空洞化 ~後手に回るバブル対策、政治改革・構造改革のもたらした弊害~

平成2年にバブルが崩壊します。まず株価が暴落して平成4年には地価が暴落します。それまで世界最強だった日本の経済がにわかに崩れ始めます。当時の日銀総裁三重野康は「株価と地価を半分に下げる」と宣言し、バブル退治の金融引き締め政策を行います。日銀と財務省が意図的に株価と地価を潰して、失われた30年と言われる不毛な時代が幕を開けます。今世界を見ても、中央銀行の総裁が「株価を半分にする」というようなことを言うことは考えられません。

アメリカでは「ブラックマンデー」と呼ばれたバブル崩壊が日本の4年前の1987年に起こりました。その時アメリカは公的資金の大規模投入を行って公共投資を展開したのです。そしてアメリカはその後深刻な後遺症もなく、今ニューヨークダウは1980年を基準にすると20倍近くになっています。

日本は平成年間、安倍内閣が出現するまで株価は1980年基準とほぼ同等で変わっていないのです。1980年に8000円だった株価が、1989年には39000円まで上昇し、バブル崩壊で再び下落を始めて、小泉内閣時代の大半の株価は8000円でした。これでよく在任中高い支持率を維持できたものだと、改めて小泉純一郎の才能に敬服します。その後アメリカはリーマンショックにより再び世界経済に悪影響を与えましたが、自身の株価は2年で持ち直しました。日本は当時民主党政権だったという不幸があり、持ち直すには安倍内閣の出現まで4年半かかりました。今、安倍内閣によって1980年の株価の3倍にまで回復しています。

アメリカとのこの差はどこから来ているのでしょうか。日本人が劣っていたからなのでしょうか。私たちが何も努力してこなかったからでしょうか。平成初期、日本でバブルが崩壊した時に一生懸命取り組んだのは「政治改革」です。政治改革は何を我々にもたらしたのでしょうか。小沢一郎が主導して、海部俊樹、細川護煕が政治生命を賭けると誓った政治改革を振り返っておかなければなりません。

GHQの統制よりも厳しい政治改革と言われますが、一つは議員個人への企業献金の禁止です。政党への献金のみになり、政党助成金制度が導入されました。そして小選挙区比例代表並立制が採用され、中選挙区制がなくなりました。当時目指していたのは、金権腐敗政治からの脱却と2大政党制の実現でした。ところが金権政治は確かに払拭されましたが、金がなくなった分、政治家は力をなくしてしまいました。

従来の「中選挙区制・企業献金フリー」という制度では、実力派の議員が企業献金を受け、その資金を軸にして自民党に派閥ができました。中選挙区制なので同一選挙区において自民党の派閥間の熾烈な争いとなり、それが政治の活力を生み個々の政治家の力を高めてきました。霞が関官僚への影響力を保持し、選挙地盤の地方の中小企業主の声を中央官庁に反映させて、地方と中央が太いパイプを形成していたのです。

今はどうなっているのでしょうか。金があるのは政党です。政党助成金。企業献金も全部政党に持っていかれます。ですから、金と人事権の両方を握る幹事長、総裁、いわば党執行部と首相官邸には誰も刃向かえなくなります。私は安倍総裁には敬意を表していますが、党の総裁、幹事長に疑義を申し立てることもできない集団が、個々の力をなくした400人、500人もの国会議員を擁して数だけを誇っても健全な政党とは言えません。だいたい人も金も自分で集められないような人を政治家にしておいていいのでしょうか。中選挙区制度の下では、自民党も社会党も地方と中央が密接に繋がり、霞が関に要求して地方に富やインフラを還元するという循環構造があったのです。これを利権構造というと聞こえは悪いですが、今はやりの言葉で言うと「ウィン・ウィン」と言うのでしょう。このように、ある意味現実に適合してきたものまでも壊したのが「政治改革」なのです。

 

次は「構造改革」です。小泉内閣の竹中平蔵は「構造改革をしないと日本は破産する」と声高に唱えましたが、25年後の今でも「この国は構造改革をしないと国際競争に遅れる」と言っているのです。十年一日、同じことを言い続けているわけですが、これは「いつかは株が暴落する」と詐欺まがいなことを言っている経済評論家と同じではないでしょうか。構造改革は結構ですけど、ゴールに向かってきちんと工程表を示すこともなく、呪文を唱えているだけでは結果は出ません。

小泉内閣はその後、「規制緩和」を打ち出しました。規制緩和により地方を活性化し、地方分権と構造改革をセットで推進していくという構想ですが、これは理論的には間違っていません。霞が関が民間を圧迫しているので、霞ヶ関の権力を縮小して地方を強くして民間企業の活力を高めようというのが狙いでしょう。しかし、政治改革で政治家が弱体化し、地方と中央のパイプが脆弱になり、実際にもたらされたのは地方の疲弊であり、日本の基幹産業の技術流出、経営悪化そして雇用破壊となっていったのです。一時、「日本型経営」が世界中で称賛されていましたが、いつの間にか「悪いもの」とされています。政治改革、構造改革で日本は強くなるはずだったのに、明らかにそうはなっていません。理論が間違っていたのか、実行段階で手違いがあったのか、それとも初めから何かトリックがあってみんなが騙されたのか、原因はよく分かりませんが、霞が関の権限だけは実際に強まってきています。

平成も後半になればなるほど、日本企業はイノベーション能力を落としていきます。そしてアメリカ、中国の企業が競争力を強めてきています。一方国内では、これら外国の意を受けたのではないかというような法律がいろいろな形で国会に提出されて、その結果日本の民間の力はますます衰退していきます。竹中・小泉構造改革では多くのもっともらしい議論が闊歩し、一見合理的に聞こえて世論が簡単に靡いてしまいましたが、合理主義で一番大事なことは理屈、理論ではなく目標なのです。「どのような結果を作りたいか」ということが大切なのです。何度でも言いますが、平成の改革には明確な目標の設定がなかったのです。

平成から令和に移行した現在、世界は再び大きな変動を迎えています。日本にとっては冷戦よりも深刻な状況と言えます。米中激突の始まり、核を保有している北朝鮮主導の朝鮮半島統一の可能性など、平成改元の時以上に日本にとっては深刻な状況です。当時は大変動の負け組はソ連と共産圏であり、勝ち組は自由主義の国々、その中に日本もいたわけです。ところが平成の後半、アメリカのマイクロソフト、アマゾン、グーグルなど革新的な企業が台頭し、これらの企業に対して中国が国家ぐるみでアメリカに対抗し凌駕しようとしている一方、日本は平成30年の間に、産業空洞化が著しく進み、往年の力を喪失して行ったのです。

それでも安倍政権に替わってからの7年で、株価、求人倍率などの国民生活の基盤は高いレベルで回復してきていますが、足元の産業の空洞化は続いています。かつての日本を牽引していた家電産業はほとんどが衰退か或いは身売り。シャープは台湾の会社に買収され、東芝の技術情報も平成の初期に韓国に人材ごと持っていかれというように、我々国民一人ひとりが賢明に頑張っていても組織が内側から崩れてきている状況なのです。今後わが国は「これ以上の衰退をどのようにして止めるか」ということを保守論壇、政府・自民党が一体となって取り組まなければならない深刻な事態になっているのです。

 

五 令和の日本に立ちはだかる壁 ~イデオロギーによる日本潰し、司法・霞が関官僚機構の独走、マスコミの暴走~

令和を迎えた日本社会の病根の一つは「平成における改革という名の日本壊し」ですが、もうひとつは「イデオロギーにおける日本潰し」です。この日本潰しの主体となっているのが、東京大学をヒエラルキーの頂点とする「東京大学ピラミッド」なのです。他の大学も含めて人文系の「日本のアカデミズム」を意味し、「東大法学部」に代表されます。東大法学部というのは憲法9条を無二のものとして奉じていますが、憲法を研究しているわけではありません。憲法を研究するためには「比較」が必要になりますが、「比較憲法学」というのは法学者の西修など極くわずかの人たちを除いて日本ではほとんど研究されていません。東大法学部にとって憲法は冒すべからざる「不磨の大典」であり、彼らにとって憲法学とは憲法を比較しないで憲法の条文を如何に実際の裁判で運用するかという法務運用の話なのです。

東大人文学というのは「憲法9条」と「マルクス主義」の二つの教義を奉ずる「宗教団体」なのです。キリスト教であれば、伝統ある大学には非常に権威のある神学部もありますが、たった3行の憲法9条を教義とするとなると、宗教的にあまり崇高とは言えません。何より憲法9条を文字どおり守っていったら国家が破壊されてしまいますし、マルクス主義というのも日本の国体を破壊する思想ですから、日本の国家エリートはこの二つの国家破壊の思想を信奉しているのです。それでも知的に研究した結果ならまだ救いはあるわけですが、全然研究しないで信奉しているところが厄介なところです。

このような人たちが細胞のように、日本の国家権力組織の中に溶け込んでいるのです。行政・司法・立法にわたりますが、それだけではなくマスコミという権力にも入っています。東大を頂点とするエリートたちが四権を独占しているのです。それでも立法に所属する政治家は国民が選挙で選べますが、司法、行政、マスコミに対して我々は一切NOを突き付けることができないのです。現在の司法試験合格者、国家Ⅰ種試験合格者たちのイデオロギーを透明化し監視して、国民の世論として「今の司法、行政はおかしい」と突き付ける手段はあるのでしょうか。「最高裁判所裁判官国民審査」という形骸化した国民投票は現状では全く意味がありません。でも我々は何かあれば検察に拘束されて立件され、最後には裁判官のイデオロギーに左右されることになるのです。私たちの側に立つのは弁護士ですが、弁護士は日本弁護士連合会という極左団体に属し、この団体に睨まれると廃業に追い込まれます。霞が関に対しては従来、国会議員を通じて民意を強く伝えられましたが、議員一人ひとりの力が弱くなった現在、それも効果がなくなってきています。司法・行政・マスコミの三権に対する政治権力の弱体化を防ぎ、四つの権力を均衡させていかないと、この国は本当に衰退の道を歩むほかなくなってしまいます。

 

「移民法」と呼ばれている法律があります。マスコミは右も左も間違ったことを言っているようですが、移民を解禁したい経産省の官僚に対し、首相官邸のチェックで相当縛りが掛けられ、移民が無責任に増加するということにはならないようになっています。

日本の人口は激減します。現状のまま進行すると、令和の30年間で4000万人の人口が減ります。30年後には8700万人になるのです。これは世界史上空前の民族大崩壊です。今は人口減少局面の4年目ぐらいであまり感じていないと思いますが、後になるにつれて減少は加速していくのです。恐らくあと7~8年もすると「エッー」というぐらいに過疎化、空洞化が地方で進んでいきます。今だって地方議員の無投票当選者が急増している状況です。下手をしたらわが国では外国人が簡単に国籍を取れるようになるかも知れません。地方議員になれる可能性だってあるわけです。人口が減るということは、我々の想像を遥かに超えた対処不可能な状況が生起することを覚悟しなければなりません。

ところが、それに対して霞が関が考えているのは、単純に、人口が減少するスピードと同じ割合で移民を受け入れることだけなのです。その結果「100年後の2120年頃には、日本の人口は4400万人、移民は7000万人となる」としたシミュレーションが公刊データとなっているのです。

ここで、日本が直面している死活問題である「人口の少子化」について少しお話ししたいと思います。何といっても安全保障と並んで、人口問題は国としての存在の基盤とも言えるものです。急増、急減を避けて人口の安定を図ることが何より大事なことです。

私は講演の冒頭で「今、日本は存亡の危機にある」と申しましたが、現在、国を挙げてこの問題に真剣に対処しているようには見えません。既に「今後30年間で4000万人減少」というのは統計学上確定しているわけです。上がる見込みはないと知っていながら上げる努力はしていない、「子供を3人生んで欲しい」と言っただけで袋叩きになるような国でどうやって人口政策を打てるのでしょうか。女性の尊厳、人権尊重も大事ですが、人口が激減すると人権を唱える前に我々の安全が消え、生存が難しくなっていくのです。将来の人口減少を憂えて「子供を生んでほしい」と心中の思いを訴えた国会議員を「子供ができない女性に配慮しろ」と徹底して非難する風潮は行き過ぎとしか思えません。

私は「女性の尊厳、人権尊重」を唱えて声高に非難した人が、例えば「亭主は元気で留守がいい」と言ったからといって、男性差別というつもりは全くありません。そうではなく、人の営みの本質的な面を無視して、人権など特定のイデオロギーに少しでも引っかかったからといって、それを発した人を世の中から抹殺しようとする不健全な社会に警鐘を鳴らしたいだけなのです。

 

日本のマスコミは暴走を続けています。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、私は一昨年に『徹底検証森友・加計事件 朝日新聞による戦後最大の報道犯罪』という本を書き、2ヶ月間で2万9000部出版されました。その後、朝日新聞から裁判を起こされて、現在私は民事訴訟の被告人となっています。名誉棄損として5000万円の訴訟ですが、「報道犯罪と書いてあるのがけしからん」として私の13ヶ所の文章表現を問題にしており、訴状で「安倍総理及び夫人そして官邸が森友・加計事件に関与した疑いがあるとの報道を弊社はしていない」と主張しています。しかし私は、「モリカケ」の記事が半年の間に700件も紙上で報道され、一年足らずの間に「モリカケ」を一面トップ記事で40回扱っており、社説において「安倍夫人に言及した」記事が50回を超えているという客観的事実を示して「報道していないとは言えないのではないですか」と主張しているだけなのです。

ここで私が言いたいのは、ひとたび新聞社から裁判で訴えられた以上、世の中では「私が訴えに相当することを何かしたのでしょう」と思われているということです。不合理なことこの上ないのです。私の方が事実を国民の皆さんに伝えようとしても、比較的好意的な「月刊Hanada」、「産経新聞」、「正論」、「夕刊フジ」などはインタビュー記事を掲載してくれるかも知れませんが、それでも合計して数十万人の読者の目に触れるぐらいです。片や向こうは、その気になれば新聞のみならずテレビ報道も利用できるわけですので勝負になりません。つまり「個人の主張がまともに取り上げられない、このような状態でも自由社会と言えるのですか」と言いたいわけです。先ほどの四つの権力のうちで、政治権力以外の権力がどんな不当な権力行使をしても、我々には対抗する手段がない状況にあるにも拘わらず「結構、自由な社会に生きている」と錯覚している恐ろしさを知って欲しいわけです。繰り返しますが、これらの四つの権力に均等に抑制を働かせるような新しい国としての制度設計をしない限り、日本に自由な社会はやってきません。自由は国民が自らの力で守るよりほかないのです。

 

六 令和日本の将来を開く安倍外交 ~米中狭間の中で模索する経済再生、安全保障~

中国が強大化している脅威については改めて言うまでもありません。尖閣諸島地域で何が起こっているか説明する必要はないでしょう。しかし、中国が国防上描いている第1列島線に沖縄が入り、第2列島線に関東中部地方まで入っていることを皆さんは認識しているでしょうか。先ほど見たように国力で大きな差をつけられていながら、国民は危機感を全く共有していないのです。中国は2年前に習近平の社会主義思想を採択しました。「習近平新時代中国特色社会主義思想(習近平思想)」です。個人の名前を冠した中国の国家理念は、毛沢東、鄧小平に次いで3人目となり、習近平は新しい独裁体制を宣言したわけです。目標とするところは「中華民族の偉大な復興」で、21世紀半ばまでにアメリカを追い抜くとしています。

この習近平のラストスパート宣言に対抗するのがアメリカですが、この時期アメリカ大統領にトランプが就いていることが何よりに思えます。トランプについてはいろいろなことを言う人がいます。アメリカ人は「大統領はヒーローであってほしい」と思っていますから、彼が使う「庶民のような口汚い口調」はショックなのでしょうが、彼の政治判断そのものは大きく的を外してはいません。今中国がラストスパートをかけたので、アメリカも猛然とスパートしようということでしょうか。少しでも逡巡したらすぐに遅れを取り引き離されていきますから、適切な判断というか、ギリギリのタイミングだったと思います。

今行われている安倍外交は世界的にも評価できると思います。聡明かつ周到、総合的によく検討されています。第一次安倍内閣時代の教訓も参考にしているのでしょう。安倍外交の一番のターゲットは言うまでもなく中国です。「中国に如何に対抗するか」、「中国の圧力から如何に日本を守るか」ということでしょうか。そのためまず重視したのが「経済成長」です。世界中の国を外交で回りながら、同時に日本企業の代表者から成るミッションチームを帯同して各種の契約交渉を行わせています。国内での内需には限界がありますから世界に需要を求めているわけですが、最近は習近平、プーチンなどもやり始めました。安倍外交のトップセールスは歴代の日本或いは世界の首脳の中でも例外で、アメリカ以外でここまで、ある意味露骨と思えるほどに行ったのは初めてではないでしょうか。

 

安倍政権は安全保障においても、周到に検討して限定付きながら集団的自衛権を容認しました。狙いの先にあるのは中国です。中国を軍事同盟で包囲しようとしているのです。トランプが大統領に選挙で選出された時、就任前にも拘わらず、世界でGDP3位の日本の総理大臣が真っ先にトランプに会いに行きました。普通考えたら、土下座外交ではないかと言われかねないところですが、わざわざ何をしに行ったかというと、中国のことを吹き込みに行ったわけです。「中国はこういう国で、このようなことをやっています」と。トランプは直感、インスピレーションを大事にしています。鳥の雛は殻から出て初めに見たものを親と思うそうですから、外国首脳で初めて会った安倍総理のアドバイスはトランプの中で一番ベーシックな知識として印象が強いわけです。

トランプにインプットする時の重要なポイントは、初めに言って印象を強くすることと、最終的に行動に移す直前に再び念を押すことです。例えばトランプが北朝鮮の金正恩と会談する時も、安倍総理は1、2ヶ月前にも会っているのに拘わらず、1週間前に必要なことを伝えるためにアメリカに会いに行っているのです。なぜかというと、トランプは最後に受け入れた情報を重視してその通りにする傾向が強いのです。推測ですが、中国については安倍総理から「アメリカ歴代の大統領たちが如何に中国に騙されてきたか」ということを初めに言われていたのでしょう。その後の1年ぐらいは習近平とうまくやっていましたが、次第にFBI(連邦捜査局)、CIA(中欧情報局),DIA(国防情報局)などの情報機関からいろいろな情報が上がってきて、中国の真の姿に気付いて対決姿勢を強めているのでしょう。

 

ところが「TPP(環太平洋パートナーシップ協定)」に関しては趣を異にしました。これもまた推測になりますが、安倍総理が「集団的安全保障と自由貿易圏の形成を同時に行うことにより、中国に対する切れ目のない安全保障包囲網を構築することができる」という話をした時に、トランプは「いや、貿易は貿易として個別で、安全保障も経済圏とは別個にする」と答えたのでしょう。安倍総理の狙いは、日本は個別の安全保障能力は極めて乏しいので、悪く言えばトランプを騙してでもアメリカを「集団安全保障」、「TPPの枠組み」に入れたかったわけです。アメリカをTPPに取り込んでしまえば反中国シフトができ、場合によっては中国が日米の軍門に下り、TPPへの参加を要請してくる可能性もあるわけですから。その場合、後から加入するわけですから、既に各国と合意したルールで中国をコントロールできると安倍総理は目論んだのでしょうが、これはどうでしょうか。中国がそのようなことでルールに従うはずはありませんし、却って入ってきたら内側から食い荒らして自分の都合のいいことをやるのではないでしょうか。この意味では、トランプの見立ての方に分があるものと思われます。

結局トランプは、中国に対しては「個別に強く対処する」という戦略を取り、徹底した貿易競争、技術競争で勝負に出たのでしょう。アメリカ側はおそらくレーガン政権の時の「ソ連とのチキンレース」を想定して、中国との戦いの火ぶたを切ったのでしょう。

しかし、このようなアメリカの狙いはそううまくはいかないと思われます。状況が違うのです。当時のソ連は経済が破綻した状態でしたので簡単に降すことができました。しかし今の中国はGDPが世界2位、3位の日本のGDPの5倍から7倍になろうとする超大国で、世界中の多くの国が中国のインフラ、中国の経済に依存している状態です。アメリカも中国への国債依存度が非常に高い状態です。つまり本当のチキンレースになる可能性があるのです。

中国が崩壊するという見方が日本の保守的な経済学者に多く見られますが、ここまで大きなGDPを有し、1億人の富裕層を抱え、世界で活躍するビジネスマン、アカデミシャンなど数百万人のエリート層を擁する大国が崩壊すると考えるのは現実的ではありません。

先ほど、昭和初期の日本は如何に内向きだったかという話をしました。今も同じなのです。知識人を見ても世界的視点の議論は見られませんし、技術流出もそうですが、日本のどの分野を見ても世界の中での立ち遅れが目立つ中、安倍外交が精彩を放っています。ヨーロッパに赴いてはEU(欧州連合)と自由貿易に関するEPA(経済連携協定)を結び欧州からも大きな評価を得ています。トランプとの信頼関係は言うまでもなく、また、ロシアのプーチンとも良好な関係を築いています。だいたいプーチンと平和条約の交渉を進めながら、トランプとも親友としての関係を維持することはなかなかできることではありません。トランプにとってはロシアゲートとも言われる政治生命が掛かっているスキャンダルを仕掛けられているわけですから平静ではいられないはずです。安倍外交が世界に向けて日本の存在を高めていることは間違いありません。

 

最後にまとめになりますが、わが国の存続のため、この2~3年の間に真剣に対処しなければならない課題が少なくとも3つあります。「人口激減」、「産業の空洞化」、もうひとつは論じることが恐れ多いことなので本日はお話ししませんでしたが「皇統の安定、天皇の男系相続」です。これらについて、令和が始まった今、早急に明確な指針を立てない限り令和の繁栄はありません。平成の轍を踏んではなりません。

そして再び繰り返しますが、「四つの権力」のパワーバランスを調整する新たな制度を、国をあげて構築していかない限り、日本という国の存続とその中における自由、これらはどちらも危機に瀕するのではないかと考えています。

本日はご清聴ありがとうございました。

 

令和元年六月五日 公益財団法人日本国防協会 国防問題講演会講演録より