アメリカ帝国の挫折~日本、今に続く憲法問題~
評論家
西部 邁 氏

ご紹介をいただき有り難うございます。僕も来年、年が明ければ78歳です。だいたい人間80歳を過ぎますと、女性には100歳でもご自由に生きてくださいと思っているけど、人間の雄として精神能力や戦闘能力を失くせば生きていること自体の意味もあまりなくて、さっさといなくなればと、もしくは自分で死になさいというのが僕の信条で、僕は55歳のときにそのような本を書いています。死生論で、それ以来一切意見を変えていません。
僕は今、身体は4分の3ぐらい死んで、頭が5分の1ほど耄碌しているのでしょうが、残念で無念だなと思うのは、威張って言っているのではないのですが、僕がずいぶん前から孤立無縁になっても言っていたように、いよいよもって世界の文明が没落していくということで、このままいくと没落すると言い続けてきても、誰からもほとんど相手にされず、しかし今、世界がそうなりつつあるときに自分自身が目前に死を待っていると、そういうことです。今唯一関心があるのは、正直にいうといかに明るくにっこりと笑って死ぬかということです。今回、国防協会から呼ばれて、国防に貢献する体力も知力もほとんど残っていないのが残念といえば残念です。ほとんど人間の残骸みたいな状態ですが、人間というのは最後の最後はそういうものです。

僕が6才の時に戦争が終わりまして、札幌近郊でしたが、日本軍の格納庫と弾薬庫があり、飛行機は全部特攻機とかに使われて一機もなく、弾薬庫はほとんど残っていませんでした。米軍はすぐさまそこを接収しましたが、8月の末なのか9月の初めなのか、6才ですからよく覚えていません。それでも僕一人、たった一人のインティファーダー、アラビア語で蜂起っていうらしいですが。蜂起の蜂は蜂で蜂の群れのように群集が立ち上がることをインティファーダーというらしいですが、一人のインティファーダーという変なことをやっていました。これは本当の話で、国道の石つぶてをたくさん集めて、かなうわけがないのは承知していましたが、米軍の戦車に投げつけたりしていました。

僕があの戦争で心情的にまず気にかかるのは、大げさに聞こえるかもしれませんが神風特攻隊のことです。皆さんも考えたことがあるでしょうか、自ら命を断つということを。神風特攻隊は沖縄だろうがレイテだろうが、僕には飛行時間のことは分かりませんが、5時間前後ぐらいでしょうか、正確に操縦していくのです。死ぬことは100パーセント決まっています。勿論不時着の場合もあるにはありますが、死ぬことが決まっていながら、しっかり操縦して、上空3000メートル、4000メートルから敵艦めがけて突っ込んでいく、その時の意識、孤独な意識はどのようなものか、それが今気にかかっています。最初は何機かで励まし合いながら飛んでいたとしても最後は一人ですから。一番若い人で17才、上のほうは26~27才ぐらいでしょうか。戦争というものは世界史の中では年がら年中起こっているわけで、勝つこともあれば負けることもあります。仮に僕がやって負けたからといって、自分が悪かったと思うでもなく、今度やるときはできれば勝ちたいものだと思うだけです。いつも勝つとはそうは問屋がおろしてくれないでしょうし、負けたからといっても、何も全てが終わるわけではないというのが僕の昔からの信条です。

 

一 アメリカの光と影を直視する

そういえば明日、ロシアのプーチン、ファーストネームは覚えていませんが、彼が来るらしいです。北方領土は、皆さんご推察のとおり、歯舞・色丹、面積でいえば小さいですが、その程度は返ってくる可能性が少しはあるけれども、国後、択捉は絶対に返ってきません。当たり前です。既に択捉にはミサイル基地ができつつあるといわれていますし、国後にはもう滑走路ができていて、いずれそこもミサイル基地になるわけですから。
ロシアの人口は、日本より少し多い一億5千万人くらいです。ロシアが全方位の外交軍事政策をとっていく場合、太平洋に睨みをきかすしかなく、そのための絶好の拠点となる千島列島の中で大きな島を手放すわけがありません。

日本人は平和条約、講和条約というと、条約締結前の元の状態に戻ることだと思っていますが、喧嘩をやって元に戻れるのは男女関係や夫婦の間ぐらいのものです。国と国との関係となったら全く別物になります。日本人は、平和は英語でいえばピースだということは知っていますが、ピースの語源というのはラテン語でパクスです。例えばパクス・ロマーナ、パクス・ブリタニカ、パクス・アメリカーナって聞いたことがあると思います。あのパクスというのは、調べればすぐ分かりますけれども、平和というよりも平定なのです。強いものが弱いものを平らげること「おれが勝ってお前は負けたな」と、その確認をすることです。その負けた証拠に「お前は金をいくら払え」と、あるいは「土地をどれだけよこせ」と、そしてそれに対して「分かりましたので差し出します」、これが平和、講和ということなのです。

実のところ、日米戦争だってそうです。日本人はサンフランシスコ講和条約で、1951年に立派に独立したと思っているけど、僕は別に反米で言うのではないですが、この講和条約は日米安全保障条約との抱きあわせでもって、沖縄同様に東京都のすぐそばに横田という基地がありますが、そこは米国が治外法権的に使うと宣言しているわけです。サンフランシスコ講和条約は、はっきり言いますが平定条約なのです。大きな辞書でパクス・ロマーナを引いてみると、一番目には確かに「平定」と書いてあります。それから説明があって「弱いものが強いものに負けたということを確認すること」と書いてあります。ところが、三番目には「不安定な統治状態」と書いてあるのです。これの意味するところは、普通でしたら負けた側は金を取られ土地も取られて、ある種の抵抗、レジスタンスを、時いたれば反乱でも起こしてやろうかと思うものですから、統治状態はなかなかうまくいかないということなのです。パクス・ロマーナでいうと、地中海沿岸をローマが平定しましたが、負けた側は表面上負けましたといっても、いつかは反乱を起こしてやろうと考えていますから、統治状態が不安定になるのはしょうがないのです。

そこで僕が気に入らないのは、どうして日本人はアメリカに負けて平定されていながら、兵隊さんが太平洋方面で百万人亡くなりながら、中国戦線でも百万人死んでいながら、他の国と比べると圧倒的に少なく、また戦争ですからやむを得ない面もありますが、でも、非戦闘員の90万人が原爆も含めて亡くなっていながら、なぜ何の抵抗も感じないのでしょうか。戦争に負けた翌日から、アメリカ様万歳というようなことを言っているわけです。
さきほど言ったように、僕も近所にやって来た米軍に対して、僕一人のインティファーダー、蜂起をしていましたが、たった一人の蜂起というのは空しいもので、いまでもまだ覚えていますが、米軍の戦車もよっぽど頭にきたのでしょうか、このような子どものガキに対して、戦車砲を「グーッ」と回してきました。あのとき初めて僕は、戦車の砲台、砲塔というものが「グルッ」と回るものだということを知りました。僕の方に戦車砲が向けられてきたので、慌てふためいて林の中に逃げ込んだ情けないインティファーダーでありましたけれども、こちらは石つぶてしかない状態でしたから。まあこれは6才の頃のできごとでしたから、いろいろな面で万やむを得ないところでしょう。僕は別に反米感情とか何とかで言っているのではなくて、むしろ「日本人は情けなかったな」と、そう思っているだけなのです。

このような話をすると、皆さんは「ほんとにあいつはインテリなのか」と思われるかも知れませんが、インテリでもかなわない話を一つ紹介しますと、僕が結婚した直後、今、妻は亡くなって居ませんが、びっくりしたことがありました。僕のお袋と妻のお袋が終戦直後に同じことを言っていたということをお互いに確認したということなのですが、驚いたことに、二人のお袋の話が一言一句違っていなかったのです。二人のお袋はともに30歳代半ばでしたが、なにしろ「生めよ増やせよ」の時代でしたから、子どもは僕のお袋は6人、妻のお袋は5人いました。妻の方は札幌市内の小さな町医者、うちの方は安サラリーマンの女房でしたけれど、今でも覚えていますが、「日本の男ときた日には、たった一回戦争に負けただけで腰を抜かして全くもうーっ」と、このように言っているのです。このような声は新聞にもラジオにも出なかったのですが、でも、うちのお袋も言い、妻のお袋も同じことを言っていたということは、多分日本中のお母さんたちすべてがなどとは申しませんが、戦争に負けてよかったと言っていた女性もいたのでしょうけど、心の中では「あなた方男の人たちが戦争をやるって言うから、私たちも食うや食わずの状態で子どもを生み育てて頑張ってきたのに」と、そして「日本が負けたのは仕方がないが、すべての日本の男の人たちが、背中をしゃきっと伸ばさないで、表面上は負けた様子をするのはしょうがないとしても、何も魂まで、精神の軸まで奪われるような情けない『へっつくばりぶり』は何なのか」と、これが当時の多数のお母さんたちの素朴な気持ちだったのではないでしょうか。このようなことは、世論とか表には一切出てきませんでしたが、僕はそういうことを子ども心に感じながら育ってきました。

パクス・ロマーナの意味はさきほど述べたとおりです。したがって、20世紀後半から始まった「パクス・アメリカーナ」の意義もよく分かります。でも、僕は別に反米で言うのではありませんが、他の国々は、このパクス・アメリカーナに対しては、すべてを無条件に受け入れたわけではなく相当頑張っていたのです。確かにアメリカは最も強大な国ではあるけれども、そう簡単に屈してはなるものかと頑張っていたのです。
一方、日本を見た場合、全体としての風潮は「ともかくアメリカについていけばどうにかなるだろう」と、「アメリカに従っていけばどうにかなるだろう」ということになってきています。僕はびっくり仰天しています。

勿論一朝一夕に、日本が今までの立場を変えられないことは分かっていますが、そろそろ、少なくともインテリというのならば、いったいアメリカは何をやったのかということを直視すべきだと思っています。僕は今でも忘れられないのですが、アメリカのブッシュ大統領、例のジュニア・ブッシュがイラクのバクダットに侵攻したときに、日本のインテリの中でたった一人いた「石部金吉」、それが僕ですが、「どう考えてもこの時のアメリカの行動は侵略行為である」と言っていました。大量破壊兵器をフセインが持っている証拠が何もないのです。名前はちょっと忘れましたが、CIAに所属していた人物がバクダットで5年間、大量破壊兵器が残存しているかどうかを調べて、残存の痕跡が何もないという報告を出しましたが、それを国連の安全保障理事会でアメリカが握りつぶしました。そしてその人はCIAを辞めて全世界を講演旅行で回ったわけですが、アメリカ国内でパージの憂き目にあい、自分の家が石つぶてで壊されました。そういうことなどをいささか知っていましたので、このような国のあとばかりくっ付いて行っていいものだろうかと思ったものです。勿論前線には行かないでしょうが、後方支援であろうが、人道支援であろうが、何であってもこのような行動を共にするのは、日本にとっても誉められたことではないと、そう思っています。

あのときの首相は小泉純一郎なる人物でした。彼いわく「大量破壊兵器を持っていないことを証明する責任はイラクのフセインにある」と。僕は本当にビックリしました。それを言い出したのは、勿論ブッシュ陣営なのですが、そのアメリカですら再度調査をやり、アメリカ議会の調査委員会は数百ページの調査報告を出して自分たちの間違いを認めています。イギリスは勿論、そのあとで既に数千ページにわたる同様の報告書を出して自分たちの間違いを表明しています。それに比べ、日本は一体何をしていますか。一切何もしていないのです。子どもでも経験的にわかることですが、何でもいいのですが、何も持っていないことの証明は「悪魔の証明」といって、証明が不可能なのです。僕は妻を亡くしてもうじき78歳になりますが、ガールフレンドといえるような女性はいません。でも、そのような女性がいないということを僕は証明できません。いれば証明はできます。「実はこれが俺のガールフレンドだ」と。日本人の半分は女性ですが、6千万人います。そのすべてが僕のガールフレンドでないことをどうやって証明するのですか。「ない」ということの証明は、ちょっと説明すれば子どもにだってわかりますが不可能なのです。それを日本の首相が公けに言い、日本の新聞、テレビ、その他インテリも追随していたのです。あれはもう何年前になるのでしょうか。2003年のことだから13年前になりますが、日本人の思考は依然として、子どものようなものだと言わざるを得ないです。

「子ども」という言葉が出たので思い出しましたが、ダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官が日本を去るときに、「日本人の精神年齢は12才」だと言いました。僕もちょうどそのとき12才くらいでしたから印象が強く、一人で怒っていました。実は12という数字「トゥエルブ」には独特の意味があるみたいです。近頃時間がありますから、かといって本もあまり読む気もしないから、暇つぶしによくテレビのスイッチ、どこを押してもつまらないものしかやっていませんけど、たまたまアメリカのくだらないアクションものの中に「パッ」と出てきたのです。劇中のある人物が若者に「ヘーイ、トゥエルブ」と呼びかけているのです。つまり12才という意味は「ガキ」という意味なのです。日本も12才で小学校を卒業しますが、アメリカもだいたい似たようなものです。

ついでに言わしてもらいますと、僕は北海道出身ですけれども、このような傾向は別に戦後始まったものではなく、北海道でいうと、札幌農学校に「何とか・クラーク博士」という人が来て、たった半年かそこらでしたが、それでも帰り際に「ボーイズ・ビー・アンビシャス」と言って帰って行きました。今では「青年よ、大志を抱け」という言葉を残してクラーク博士は帰られた、ということになっていますが、ボーイズという意味は、言葉が悪くなりますが「ヘーイ」です。アメリカでよくあるシーンに、黒人たちに向かって白人が「ヘーイ、ボーイ」と言っていることと同じなのです。二十才前後の若者に対して「ボーイズ」と言うことは、「おーい、ガキたち」と言っているようなもので、それから「アンビシャス」も独特な面白い言葉で使いようによって「野心的」と訳されていますが、どちらかというとマイナスの意味合いが強いのです。「オーイ、ボーイズ、ビー・アンビシャス」、日本語で直訳すれば「おーい、ガキども、けっぱれや」と、その程度の言葉なのです。それを明治の終わり頃でしょうけど「青年よ、大志を抱け」と言ってクラーク博士は帰られたということになっていますから、日本人の属国気分というのは、何も戦争に負けたからというものでもないのです。その下地のようなものは明治の頃から少しずつあったのでしょう。僕は全てがそうとは言いませんが、日本の近代史というのは一度、根こそぎ振り返ってみる必要はあると思います。

僕は「安保法制改正そのものには賛成だが、相手がアメリカであるということがちょっと」と言いました。改正の趣旨は後方支援に限らず前線の活動も含めて、武力衝突も引き受けることもあり得ると、人道支援に限らず戦争も引き受けることもあり得ると、そして極東の範囲に止まらず地球の反対側まで行くこともあり得ると、そういうことだと思っています。これを日米安保に適用した場合、アメリカのあとについていくために前線に行くということでしょうし、アメリカのために武力も使うこともあるでしょうし、ソマリアかスーダンかどこか知りませんけど地球の反対側まで行くこともあるでしょう。僕は自衛隊にはそれなりの事情があるでしょうから、行くことはあり得ると思っていますが、日本の中の公平な議論として「おいおい、アメリカのあとをついていくと、とんでもないことにもなりかねないな」という話を、もし軍人ができないのならば、特にわれわれのようなインテリたちが、テレビ、新聞、雑誌で堂々と発言していってこそ、日本の言論のあり方だと思っていますが、そのようなことを言う人は僕の側には一人もいません。せいぜい奥歯に物の挟まった言い方で四の五の言っているだけです。

僕がたった一人で別のことを言っているわけですから、僕が嫌われる理由は十分にあるのですが、しかし、こんな嫌われ者でも、時たまといいながらもテレビ、新聞で何かと依頼がくることがあります。最近はお呼びが遠のきましたが、時たまとはいいながらも何か依頼がくるというのは、やっぱり日本人の心の奥底のどこかに何かあるのです。このようにものごとが進んでいっていいのかなという疑惑が。そういえば、西部という変わった男が居たなと。それなら、一年に一遍くらいは呼ぶことにしようかということでしょうが、で、「客変われど主変わらず」で結構こっちは忙しい思いをしています。

 

二 実験国家アメリカ、アメリカンデモクラシー(民衆の支配)の現実

僕は別に反米で言うのではありませんが、アメリカの何が問題なのかというと、やはり実験国家だということが大きいわけです。実験、エクスペリメントです。何かの設計書があって、巨大な社会を造りあげるという実験ですが、それを歴史に残る形で最初にやったのがアメリカなのです。1776年に独立し、数十年間は実験国家として新しく建設されていった国家でしたが、それをやったのはピューリタンをはじめとするヨーロッパからの移民たちです。僕は北海道出身だからわかりますが、北海道人もだいたいは内地から来た人たちですが、北海道の場合は食いつめに近い貧しい人が多かったのが事実です。しかし、アメリカの場合は最初はそうでもありませんでした。宗教的迫害、ピューリタン、清教徒の物語です。迫害から逃れるためにアメリカ大陸に渡っていますので、平均すればそれなりの中産階級の人たちが来たのです。ということは、ヨーロッパ文明というものを担うだけの財力・資力を持っていた人たちということになります。

ジョージ・ワシントンの時代というのは、それなりにヨーロッパ的な考え方を残していました。そういう意味では、ヨーロッパの歴史を引きずってアメリカという国ができたはずなのですが、それがガラガラと様子が変わるのはアメリカとイギリスの米英戦争のとき、1812年ぐらいからでしょうか。もともとはイギリスの植民地だったものが独立して、でもイギリスは特権を手放そうとしませんので戦争が始まりました。そのときに現れたのがアンドリュー・ジャクソンですが「アメリカネイティブインディアン殺し」として、また嘘つきとしても有名な人です。もっと言いますと、インディアン掃討戦、インディアンからの土地収奪などで大衆を扇動して有名になったアンドリュー・ジャクソンは、1829年に大統領になりましたが、それからいわゆるジャクソニアンデモクラシーが始まりました。それでアメリカが一変したとまでは言いませんが、今のアメリカへとずっとつながってくるのです。

インテレクチュアルに話をすると、1835年に出版されたフランス人のアレクシス・トクヴィルが書いた「デモクラシー・イン・アメリカ」、これは日本人なら本当に知っておかねばならないものですが、彼がたった9ヶ月、アメリカ大陸の東海岸を訪れて人と会ったりパンフレットを読んだりして書いた分厚い本で、僕はフランス語ができませんから英語でしか読みませんが、一言でまとめると「デモクラシー、つまりマジョリティ・ディシジョン、多数決という制度は嫌おうなく拡がり、デモクラシーは歴史の必然だともいえるが、このアメリカに見られるように、ティラニー・オブ・ザ・マジョリティ、即ち多数者の専制性、凡庸なる多数者が専制的に世論を通じて支配するとんでもない社会にアメリカはなるのではなかろうか」ということです。最初に本が出版されたのは1835年ですから、日本でいえば江戸時代の文化文政の頃です。もうそのときには、ヨーロッパ人にはその先が見えていたのです。

トクヴィルの本の中に、世論の支配、アメリカを牛耳っているプライマリーパワー、主要権力のことが書かれています。ペリオディカル・プレス、定期刊行物のことですが、その頃、新聞というもの或いはちょっとしたパンフレット類、雑誌類が出始めますが、それらの見出しは、いまの日本を見ればすぐにわかると思いますが自分で考えたものではないのです。ペリオディカル・プレス、今このプレスはテレビ、インターネットにまで拡がってきていますから、単なるプレス、印刷物ではなくなり、マスメディアと呼ばれるようになっています。大量情報伝達に乗っかっていく、そのようなマスメディアがプライマリーパワーなのです。そして、将来ろくな社会にならないであろうと、1835年にフランス人のトクヴィルが、たった9ヶ月の旅行をしただけでそのように言っているのです。もちろん、無条件にそうなるのではなく、もしも、このアメリカンデモクラシーに希望があるとしたら、裁判官、弁護士、司法家、宗教家などそういう人たちが世論から距離を置いて「皆がこのように騒いでいるが、宗教上から見ればとんでもない」とか、「何か騒いでいるが、法律の原則に反するのではないか」と頑張ってくれれば、感情に舞い上がりがちのパブリックオピニオンも少しは修正されるだろうから、その場合にはアメリカンデモクラシーにも若干の望みがあるかも知れないと言っています。

トクヴィルは「望みがあるかも」と単に言っていただけだったのかも知れません。世論を煽って世論に乗っかるのが今の弁護士ですし、そういえば、今のホワイトハウスはクリントンのときから弁護士のものになっています。では宗教家はどうでしょうか。アメリカで暮らしたのは40年も前のことですが、サンデーモニングというのがありました。日曜日の朝のことかと思っていたら日曜礼拝のことなのです。エバンジェリカル、アメリカの福音派、聖書は神の言葉と信じている人たちです。それがテレビの一角を牛耳っていて、日曜日となれば朝から世論を煽り立てるわけです。このように、トクヴィルが言っていた「もしも宗教家と司法官が世論から中立的な立場に立てば」という条件は、アメリカでは、とうの昔に失われているだけではなくて、今では世論のど真ん中に弁護士と宗教家が入ってきているわけです。ですから、トクヴィルのいうようなアメリカンデモクラシーなどを追っかけようとしても、無駄になるかも知れないということは、ほんの少しのインテレクチュアルパワーがあれば察しがつくことなのです。そのほんの少しの例というのが福沢諭吉なのです。

福沢諭吉は「学問のすすめ」を書いた人ですが、福沢諭吉の弟分に小幡篤次郎、慶応出身の方はご存知かどうか、という人がいて、彼は江戸幕府の開成所に務めていました。幕末、江戸幕府はフランスと親密にしていましたから、フランス人との付き合いも多く、小幡篤次郎もフランス語が縁でトクヴィルの「アメリカのデモクラシー」を抄訳、部分訳していたところ、それを兄貴分の福沢諭吉が読んでなるほどと思って書いたのが「世情一新」という小論文です。そこで福沢諭吉は思想の大道、今でいえば情報ハイウェイということになりますか、西洋社会は将来とんでもないことになるだろうと言っているわけです。どういうことかというと、蒸気機関、電信、郵便、印刷の4つが近代西洋の思想、言い換えれば情報みたいなもので、それが溢れて大きな道になって奔流しているわけですが、そのせいで西洋近代社会は驚駭狼狽していると書いているのです。現在は「驚」はよく使われ「駭、ガイ」はあまり使われていませんが、それも「驚く」という意味なのです。西洋人の狼狽がよくわかります。慌てふためいているのです。

つまり、福沢諭吉は、西洋近代というのはその近代のテクノロジー、蒸気機関から出版にいたる技術ですが、それに翻弄されて驚き慌てて周章狼狽していると言っているのです。このような社会のあとを素直に追っていったらとんでもないことになると、そのように明治12年に書いてくれているわけです。福沢諭吉という人は「西洋事情」以来、西洋近代を日本に紹介してくれた文明開化の元祖です。僕は福沢諭吉をしっかり読めと、そう言いたいわけです。彼は武士の子です。今の一部の日本人のように、そう簡単にアメリカに根性を売り渡すような柔な人物ではありませんでした。明治12年というと、西南戦争が終わったのが明治10年ですから、そのような時代に西洋の猿真似をするなと、真似をするととんでもないことになると言っているわけです。

佐久間象山という人は和魂洋才ということを言っていました。日本人が大和心をもって西洋の技術を学ぼうということです。しかし皆さん、そううまくいくでしょうか。道を歩いてみるとすぐわかるように、スマホをいじりながら信号も無視して横断歩道を歩いているのが現実です。朝から晩までテクノロジーとやらに溺れれば魂だって徐々に失われていくに決まっています。西洋から生まれたテクノロジー、これを何か世界最高のものように思い込んで、しかも新しければ新しいほどいいとして崇めれば日本人の魂も失われていきます。佐久間象山の和魂洋才というのは、あの当時であれば分からないわけではありません。西洋の諸列強に伍するため、とりあえず近代兵器も造らなければならないとの富国強兵はわかりますが、それはあの当時のこととして言えることであって、西洋の才を日本人が追いつき追い越し、今や先頭をきって威張るようになってから、伝統的な日本の魂はおかしくなり、はっきり言えば、武士道から遠く離れてしまったものになりました。その結果、さきの大東亜戦争の敗北、というより敗北後の対米追随があったわけです。さらに戦後70年も経ち、ますますそのような現象が顕著になることは、いちいち例として証拠を挙げなくても見当はつくことなのです。

 

三 アメリカンモダニズム(近代主義)、モード(流行)とマス(大衆)に操られた国家の行方

僕が言いたいのは、アメリカという国は何ですかということですが、一言で云うとピュア・モダニズム、純粋の近代主義ということでしょうか。では近代とは何かということになりますが、これを日本人はなかなか分かっていないのです。そもそも「モダン」という言葉をとらえて、モダンエイジを「近代」と訳したわけですが、モダンというのは何でしょうか。もしも「最近」という意味合いで近代を表現しようとすれば、英語でいえば「リーセント」でもいいわけです。リーセントエイジならば最近の時代だから、略して近代でいいのでしょう。皆さん字引を調べるとわかりますけど、モダンのちょっと上にはモデル、模型という言葉があります。もっと上にいくとモード、流行という言葉があります。いうまでもなく、これらは関連語で、モダンとは何かといったら「模型が流行する時代」のことなのです。

ここで流行と関連する「マス」という言葉があります。ここでもまた、トクヴィルが出てきますが、マスはトクヴィルが初めて使った言葉でもあります。マスというのはもともと大量という意味です。マスのイメージというのは砂山のように一つ一つばらばらな砂が山となって積まれ、小麦の山もそうですが、遠くから見れば巨大な山と見えるようなものです。ところが、一粒、一粒はばらばらですから、風が吹けば砂山の形は翌日には変わっているわけです。この場合の風というのは世論です。世論の流行が変われば一夜にしてあるいは一週間にして、がらりと意見が、姿が変わってしまいます。そのような状態のことをマスというわけです。ですから日本語ではマスには大量という意味が伴うことが多くなっています。マスプロダクション、マスコミュニケーションというように。

アメリカは古代ローマにかつて見られたように、現代における最初の巨大なマスソサイエティであります。それを日本人の社会科学者は大衆社会と訳しています。「我々大衆は」とかですが、最近はあまり使われませんが少し前までは皆さん使っていました。政治家だって、私は大衆の皆さまのために頑張りますと言いますが、あれは良い意味なのです。「コモンピープル」のように、庶民、一般の人々の意味で使うこととは違います。マスということはもともと一粒、一粒ばらばらで何の連帯感もないけれど大量に集まって巨大になり、風向きが変われば姿かたちもあっという間に変わるようなものですが、このように姿かたちを変える原因は、トクヴィルに言わせれば、アメリカに生まれたメディアにあります。とすると、その砂粒、麦粒でもいいのですが、メディアの人たちにもわかるモデルは単純に操作しやすいモデルではないと駄目なわけです。ボタンを続けて押せば、次から次と何か出てくるように、流行となるためには、「おいおい向こうがやっているから俺たちもやろう」と次から次と連鎖を誘うようなものが必要です。

アメリカ社会はよく古代ローマの帝政時代になぞらえられます。ローマの元老院制度が終わったときに、ユウェナリスという詩人がパンとサーカスという言葉を使ったのは皆さんご存知でしたでしょうか。ローマではマス、大衆がパンを寄こせと要求します。勿論働いているのは奴隷で、自由浮浪民は働かなくていいわけですから、町をふらふら歩いて、どこかに寄ってはパンを貰うわけです。しかし、パンだけでは、ただ食べているだけでは大衆は不満が溜まりますから、サーカス、見世物などがもてはやされます。そこで剣闘士の戦いが始まるわけで、それがどんどんエスカレートして、最後には人間とライオンを戦わせて、人間がライオンに食われたり、たまたまライオンを殺したり、つまりマスなどというものは、パンを与えてサーカスを見せておけばそれで満足する大衆をつくり出し、これが帝政期ローマの腐敗につながっていくわけです。それでも4百数十年間よくもったものですが、その後、ゲルマンの侵略を受けてヨーロッパは変わっていくわけです。

要するにトクヴィルは、アメリカにローマ帝政期のマスソサイエティの腐敗の原因を見たのでしょう。皆さん、イギリスのジョン・スチュアート・ミルの名前は中学校か高校でお聞きになったと思います。彼はもともと民主主義者、進歩主義者で、トクヴィルの本を読んで書評論文を書いていますが、トクヴィルに賛同しているのです。文章を幾つか紹介しますと「この世を支配しているのは世論であるが、しかし世論というものはとんでもないものである」と、「最近のイギリスには困ったものだ。毎朝八時、3000人もの人が皆同じものを、新聞などというものを、紅茶を飲みながら読んでいるらしい。一体どうしたのかこの国は」というものです。人はそれぞれ読みたい本は違うはずなのに、同じ時刻に3000もの人が同じ新聞を読んでいると、ジョン・スチュアート・ミルが驚いているわけです。今、新聞は落ち目の三度笠ですが、それでも読売は一時期1000万部を豪語していました。今は700~800万部でしょうか。朝日も当時700~800万部と言っていましたが、今は500~600万部ぐらいです。それでも何百万部ですので、たった3000人が同じ時刻に同じものを読んでびっくりして、とんでもない時代がやってくると言っていたミルの時代には考えられないことになっているわけです。今や、何百万部もの新聞に同じことが書いてあり、それに加えてテレビの幾つかの何とか番組でも同じことをやっているわけです。こんな恐ろしい社会をもたらしておいて、何がデモクラシーかと思います。

デモクラシーは文明の腐敗に決まっているわけです。デモクラシーのデーモスというのはギリシャ語で民衆、クラシーというのは力、支配という意味ですから、デモクラシーというのは民衆の支配といっているだけなのです。日本人はそれを民主主義と訳したのです。主義とつけば何でもすばらしいというわけではありません。民主の主は主権、ソブリン、昔ソブリン金貨というものがありましたが、崇高という意味です。民主は、民衆が崇高であると、崇高である以上無制限の権力を有しているということになります。言葉の定義からいえば、ソブリンパワーという概念が論理的に成り立つのは、絶対王政における王権神授説だけです。ゴッド、神は定義上絶対崇高なものなので、王権は王様が神から授けられるから神授で崇高なものになりますが、民衆の主権、崇高なるといわれる権利は、誰から授けられたのでしょうか。一組の普通の男女を父母として生まれ、普通の小学校、中学校、そして何とかの大学を出て、読書を人並みにして平凡な生活を送って年をとり、そういう連中に崇高な権利なんか与えてはいけないわけです。崇高は定義上無制限に絶対なものですから。

トクヴィルはそこがわかっていたから、あえて「民衆の力」とは言わなかったのです。彼が言ったのはプライマリーパワーなのです。アメリカでは小学校のことをプライマリースクールといいますが、イギリスではエレメンタリースクールといいます。プライマリーというのは主要なとか基礎的なという意味で、これはあまり価値観を含んでいません。つまり、多数決で代表者を選ぶのは民衆だといっても、その民衆がすばらしいかどうか、崇高性を帯びるかどうかということについては一言も言っていないわけです。デモクラシーの基盤をなすのが多数決という制度ですが、多数派が立派だったら立派な結論になるでしょうが、馬鹿だったら馬鹿な結論になるだろうと、馬鹿というのはあんまりで凡庸なようだと、凡庸というのが言い過ぎならば、世の流行に流されやすそうだと、このように言っているだけなのです。

アメリカの成り立ちから話してきましたが、今、アメリカはひどい国になっています。今のアメリカは怖気をふるう状態といってもいいくらいです。アメリカの65歳以上の老人の3分の1、多分1千万から1千5百万ぐらいの人が貯金ゼロです。しかも国民皆保険ではありませんから金がないと健康保険には入れません。ですから、身体が悪くなっても病院にかかる金がないから行けません。ということは、教会の施しその他で何とか食いつないでいる人が1千万から1千5百万いるということです。とんでもない国家を造ったのです。今のアメリカの世論は「何なのだと俺たちのこの国は。こんなおんぼろ国家を造っておいて、世界がどうの、イラクがどうの、北朝鮮がどうのといっている場合ではないだろう。自分の国をまずしっかりしろ」という雰囲気で溢れています。当然の言い分だと思います。ついでにいえば、8年前、オバマが大統領に当選した時に「これはアメリカ人の自己不安の表れなのだ」と言っていたのは、日本では僕だけです、これからアメリカのいろいろな問題、所得格差、何とか格差、最終的には人種葛藤として多くの問題が噴出してくると言っていました。だってアメリカは多人種の移民国家ですから。アメリカ人は自分自身の未来におびえて、取りあえず中間色の白と黒のあいだを出しておけば当分は持つだろうというのでオバマを選んだのですが、白と黒の調和ということの浅はかさを指摘したのは僕一人だったのです。

 

四 日本の将来、成功と失敗の歴史からコモンセンス(常識)が教えるもの

日本人はデモクラシーを民主主義と訳したのですが、穿ってみればこれは西洋を輸入したときからの劣等感の表れです。主権在民という言葉があります。主権は国民に存すると、これはよく分かりますし、今のアメリカ製の憲法の原文にもあります。国民という言葉は草案ではナショナルピープルですが、ネイションというものには歴史があります。アメリカとか旧ソ連は実験的に歴史を壊しているところがあり、歴史のないところに実験的に造られたものだから、歴史意識はないとまではいいませんが乏しいのは間違いありません。それに対し、日本の場合はいろいろな紆余曲折があったが、連続した歴史を持っているので、この場合のナショナルピープル、国民というのは極めて妥当なのです。そして、日本の歴史上の総国民の意思を考えたときに、日本の歴史が残した英知、知恵のようなものに主権があるのだなと自然に思えるわけです。日本人の伝統の精神とよく言われますが、主権があるのは今の我われの欲望にあるのではなくて、日本の歴史が残してくれたものの中にあるのです。

日本の歴史には成功と失敗、いろいろあります。でも、成功と失敗の積み重ねの中で「あれとこれは重要だ」、「あれとこれはやってはいけない」と、大まかな基準ができてきます。このような基準は、崇高というのは言い過ぎだとしても、かなり高い価値をもったもので、それに我われが従っていってはじめて、主権在民というものがあるといえます。しかし、今のアメリカ製の憲法にはそれがないのです。日本人の中で、憲法改正に反対とか言っている人たちは多数派なのでしょうが、このことについては彼らも一言もないわけです。

天皇についていうと、国民の総意というのは、日本の歴史上の総国民、死者たちの残した伝統の精神に基づくものと解釈したほうがすんなりいくでしょう。天皇の地位は日本の伝統の精神に基づくと解釈すればいいわけです。そうすると、第二条の皇室典範も、天皇の継承については皇室典範で定めるとなっていますが、皇室典範だって皇室の歴史や伝統が残したものなのです。
今上陛下が生前退位を表明されて、「あーでもない、こうでもない」と有識者といわれる皆さんが集まって何か言っていますが、法律というのは皆さん何でしょうか。法律の本質はそれこそバビロンの昔から禁止の体系なのです。本来そうあるべきなのです。そうしなかったのは歴史のない実験国家のアメリカとソ連です。例えば、バビロンの法典でいうと「汝殺すなかれ、盗むなかれ、犯すなかれ」ですが、このように何々してはいけないというのが法律の本質なのです。

ということは逆にいうと、人は本来禁止されたことをやってしまう存在なのです。人間関係を例にとると、うまく調和していくというのはなかなか難しく、とんでもない被害を与えたり、与えられたりすることがよくあります。本来善人だったのに貧しさのために、或いは緊張のために不意に人を傷つけることも起こりかねない不完全な代物が人間であると、この人間の不完全性ゆえに、これとこれはしてはいけないと禁止するのが法律の本質なのです。話を戻しますが、皇室典範にはこのように書いてあるだけです。「天皇が崩じたときは、皇嗣が、ただちに即位する」と。生前退位をしてはいけないとは書いてないのです。書いてないということは、はっきり言いますと、やってもいいということなのです。あえて乱暴にいえばですが、僕は実際そのようにして生きてきました。小さい頃はそれだけではなく、禁じられていることも見つからなければいいだろうと思っていましたが。ただし、見つかったら潔く「はい分かりました」と(笑)。僕はこう見えても、逮捕歴が2回、裁判歴が3回あります。独房で、まあ政治犯ですから、半年ぐらい暮らしたこともあります。威張るわけではありませんが。

憲法の問題は今に至るまでずっと続いているのです。憲法九条第一項に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とありますが僕はまあまあこれを認めます。そこで言っているのは、パリ不戦条約を踏まえて、侵略戦争はしないでおこうということですから。アグレッション、侵略とは何かというと、ヘゲモニー、覇権の意図を持って自ら先制的に武力を発動することとすると、それはしないでおこうと、こういうことです。ただし、厳密にいうと問題はいろいろあります。例えば、どう情報を調べても北朝鮮はまもなく日本列島の原発に対して原爆を打ち込むという事態になった場合、それでは、こちらから先にやっつけておこうか、先制武力攻撃ですが、そのような予防的先制を行おうとするのは理にかなっています。ただし、予防的先制で気を付けなければいけないことは、発動の前提となる情報が100パーセント正しいとは限らないということです。金正恩が、昨日まで日本をやっつけようと思っていても、今日になって反省している可能性があるわけです。日本が予防的先制攻撃で北朝鮮を叩いたあとに、「実は、昨晩12時に、皆で集まり反省会を開いて止めることにしました」という証拠が出たらどうなるのかということです。小規模な犠牲はやむを得ないとしても、犠牲者が500万人、1000万人となった場合にはどうしますかということです。情報というものは変わるものですし、それに応じて対応も変わっていかなければならないのです。いずれにしても、先制的に大量殺戮をともなう武力侵略をしてはいけないということも含めて、侵略戦争に反対というのは認めます。

問題なのは九条第二項である。皆さんご存知でしょうが、それについて議論されていないことがあります。戦後の混乱期で日本だけでなく占領軍の方もまともな状態ではなくて、マッカーサーは平和の使者として日本列島に降り立ったとき、ほんの一時ですが、将来は武力なき世界が訪れるであろうと思ったわけです。ヨーロッパもふくめて、あれだけの大量殺戮を経験したあとですから、武器なき世界が訪れるであろうという妄想に舞い上がって、その最初の実験を自分は司令官として日本列島でやろうと思ったのでしょう。そしてその後、はっと気が付き、それは妄想だったということが分かるのですが、まあそれも、あの当時の事情としては致し方ない面はあります。

九条第二項は「前項の目的を達するために、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という内容ですが、皆さん考えたことがあるでしょうか。「侵略戦争をしないために戦力は持たない、交戦はしない」というところですが、戦争には侵略と自衛の区別があり、その区別が難しいことはわかるでしょうか。さきほど、イラクのフセインの例を出しましたが、アメリカがなぜイラクに大量の化学兵器があると思ったかご存知ですか。アメリカが侵攻する前のイラン・イラク戦争の時に、アメリカはイラクの味方をしていましたから、フセインに大量に化学兵器を手渡していたのです。ですから、アメリカはあの時の化学兵器をイラクがまだ持っているはずだと思っていたのですが、フセインもさるもので、化学兵器というのは簡単に消滅できるので、全部廃棄処分してしまって、アメリカは見つけることができなかったのです。それでも丹念に調べれば、イラクが化学兵器を持っていなかったことは分かったと思いますが。ですから、英米のやったこと、アメリカを中心にイラクに対してやったことは侵略としかいいようがないということです。戦後、アメリカ、イギリスは調査をやり直して、あれは侵略としかいいようのない間違った戦争だと認めているわけです。侵略戦争というのは、結果として起こり得ることなのです。

このような時代、彼らが侵略戦争をしないために初めから戦力は持たない、交戦をしないということが考えられますか。九条第二項のように「戦力不保持、国の交戦権否定」を謳うということは、日本人は侵略と自衛の区別がつかないのだと、侵略と自衛の区別を厳密にしっかりとつけないような、そういう曖昧模糊たる日本人であるからして、日本人に侵略をさせないためには戦力も交戦権も認めてはならないと、こういうことになるわけです。もう一つの解釈は、たとえ区別がついてもやってしまう、ものすごく野蛮な国だと、そう思われているということなのです。実際、カイロ宣言には「あの野蛮なる敵国日本」と書いてあります。そのカイロ宣言を含んだポツダム宣言に基づいて東京裁判が行われ、サンフランシスコ講和条約を経て独立したのです。法律の文面だけ読めば日本は野蛮国になっているのです。僕は平気ですが、負け戦を戦ったわけですから仕方がないと、政治的な意味で妥協を余儀なくされたと思っています。ただ「こちららが野蛮なら、そちらはもっと野蛮だろう」とは今でも思っていますし、いや思い続けるべきだと思っています。

憲法に話を戻しますと、今の九条は「俺達は野蛮な国だから、自衛を名目にして必ず侵略を行うひどい国」、「俺達は馬鹿だから、自衛と侵略といくら考えてもわからない国民」、「我われに武力を持たせると、自衛のつもりで侵略をやってしまうかも知れない国民」という、そのような文意になっているわけです。僕らが野蛮もしくは馬鹿だとしても、僕は断固として言いたいわけです。「憲法のど真ん中に『我われは野蛮もしくは馬鹿である』と高らかに宣言した国があれば、国際社会から見れば迷惑なだけだよ」と。また「国際社会から、馬鹿は黙ってなさい、野蛮な奴は引っ込んでなさいと言われるだけです」と。そうではなくて「少なくとも俺たちは他国にひけをとらないぐらいには、自衛と侵略の区別くらいはできるし、そう簡単に自衛を名目に侵略をするような野蛮な国ではなく、まあまあ人並みの国です」といって、憲法論議を進めていこうと、このように言いたいわけです。

憲法学者の中には「自衛隊は憲法に違反している。ゆえに、今度の安保法制改正も憲法違反だ」などと言っている方がいますが、僕ははっきり言いますと「そのとおりです。自衛隊は憲法違反です。でも、憲法が何だっていうのですか」と思っています。僕が昔まだ「朝まで生テレビ」という番組に出ていた頃、田原総一朗氏から「君は、自衛隊は憲法違反だって書いているではないか」と言われたから、「そうではない、僕が書いたのは、憲法が自衛隊に違反しているということだ」と答えたことがありました。僕は今でも、それでいいと思っています。そもそも、憲法とはそういうものなのです。ある特定の時期に、特定の人たちが、特定の能力しか持たずに、特定の時間で特定の感情をもって書いたものを、どうして70年間も有り難がっているのか、本当におかしいと思います。
アメリカの話をしているつもりで、最後は憲法の話で終わることになりました。
以上で終わります。

平成二十八年十二月十四日 公益財団法人日本国防協会 国防問題講演会講演録より