「ロシア外交と日ロ関係の行方」
石川一洋氏(NHK解説委員)
平成29年7月

NHKで解説委員をしております石川です。

本日は自衛隊OBの方も参加しておられるということですが、私も昔、1984年から1987年までの間、青森県の三沢で勤務をしておりまして、航空自衛隊の方には大変お世話になりました。自衛隊の三沢基地は日米共同使用の基地ということで、当時増強を続ける極東ソビエト軍に対抗するため、アメリカ空軍のF16の配備が行われており、それに関連していろいろ取材をさせていただきましたが、その時に感じたのは、軍事とか国防というのは、やはり現場で勉強するのが一番だということでした。

 

はじめに

本日は、ロシア外交と日ロ関係についてお話ししたいと思いますが、皆さんの中でロシアに行かれたことがある方はどのぐらいいらっしゃいますでしょうか。(挙手)何人かお仕事で行かれた方がおられますが、私は7月10日まで「ビザなし渡航」、「ビザなし交流」で北方四島に4日間行ってまいりました。もっとも今は「ビザなし交流」でしか行けないわけですが。それでは、この「ビザなし交流」で北方四島に行かれたことのある方はいらっしゃいますでしょうか。(・・・)やはり、いらっしゃらないですね。今まで「ビザなし交流」を26年間行ってきて、渡航者は1万7千人に上りますが、全国民からみるとごく僅かな数です。「ビザなし交流」は北方四島返還運動の参加団体からの推薦で行くことができますので、そのような団体に加盟している方は行く機会があると思います。それでは、根室など北方四島に隣接する地域に行かれた方或いは働いたことのある方はいらっしゃいますでしょうか。(挙手)なるほど、自衛隊関係で行かれた方がいらっしゃいます。

三沢にいた時は、米軍の実戦部隊に関心を持ちまして毎日のように取材をしていました。三沢基地の航空自衛隊の方に頼んで、米軍の航空機がどういうふうに飛んでいくのかというところも見させていただきました。ちょうど、ゴルバチョフのペレストロイカが始まる頃のことで、まだまだ米ソが緊張状態という時代でした。見ていると、滑走路の東西のあちらこちらで離着陸を行っているので、「何をやっているのでしょうか」と聞いたら、「あれは滑走路の真ん中が爆撃されたという想定で行っている訓練です」ということでした。その時に「実戦を考えて、いろいろなことをやっているのだな」と正直感心したことを思い出します。

当時、航空自衛隊の方に「北方四島について、自衛隊としてはどのように考えているのですか」と聞きましたら、「択捉島にはソ連の空軍部隊が配備され、日本側が中標津を越えて飛ぶとソ連からスクランブルが掛かるので、無用の緊張を高めないように慎重に行動している」という答えが返ってきたのを時々思い出したりします。私もロシアの取材は長かったのですが、北方四島に行く機会はつい最近までありませんでした。モスクワ勤務が1992年から1996年までと2002年から2007年までの9年間あり、その後は出張ベースでモスクワなどに行くことはありましたが、北方四島についてはそれまでお誘いをいただく機会もなく、NHK解説委員になってから2014年に初めて行きまして、今年で3回目になります。取材というよりも日ロ関係、北方領土問題の専門家としての調査を主体に、今回も7月6日から10日までの間、北方四島のうち国後島と択捉島へ、エトピリカ号という「ビザなし」渡航専用の船で行ってまいりました。

 

北方四島を訪れて感じたこと ~日本人が共感する北方四島の自然~

そこでまず感じたのは「距離的な近さ」です。根室・納沙布から歯舞群島、或いは羅臼から国後島を見ると、目の前に山々が見えますから確かに近いと感じますが、実際に船で行ってみるとそのことが実感されます。それほど足の速い船ではありませんが、国後まで3時間で着きます。択捉島はさすがに遠くなりますが、それでも6~7時間で着きます。途中に、国後水道という海流の早いところがありますのでだいぶん揺れますが。

国後では、島に上陸はしても夜は船に戻って船の中で泊まります。陸地で泊まるには届け出が必要になります。ロシアの管轄権に触れる場合があるので、そのような面倒を避けるために船中泊ということになっています。国後では古釜布湾の沖合からすぐ近くに羅臼岳を望むことができますが、夕暮れ時には夕日が沈む大変美しい光景を見ることができます。

地図で国後、択捉そして知床を見てみますと、三つとも方向が同じです。北東の方向に向けて長く伸びていて風景も似ているわけです。特に国後と知床はそっくりです。国後から根室海峡を経て知床の方に向かう地形は、山が続いているようなものです。海の中でも地形の連続性は続き、太平洋プレートが近くで沈み込み、活火山も多くあります。

ちょうど国後の沿岸を通っていた時に海鳥の一種のエトピリカが船上を飛んで行きました。また、タスマニアから長距離を飛んできたと思われるハチボソミズナギ鳥の大群が船のそばに現れました。南半球からこの夏の時期に北に飛んでくるのです。さらに国後を北上しますと爺爺岳(チャチャダケ)が見えてきます。この山は根室、羅臼からも遠望でき、北方四島で一番高い山で1、822mの標高を有する活火山です。たしか1970年代に一度爆発を起こしていますが、その時は、羅臼とか根室でも火山灰が降りました。

次は択捉ですが、高田屋嘉兵衛という人が19世紀に切り開いた国後から択捉に向かう航路を通って行きました。国後水道という流れの速いところを通りましたが、1、000トン級の船でもかなり揺れて、風呂に入っているとザブン、ザブンといった状況でした。それでも今の船は快適になっていますが、昔の一回り小さい船などはもっと大変だったと思います。択捉では内岡沖を通り、チリップ山というきれいな山を見ました。内岡の隣の紗那というところが、戦前の日本統治の中心でありまして、エゾ松などの自然林が一面に広がっています。

 

北方四島における日本人というのは、島の中のいたるところに住んでいたわけです。小さな入江の中にも100人くらいの集落があり、そのような状態で、四島全部で1万7千人の人が住んでいました。今のロシア人の人口もおよそ1万7千人と言われていますが、住み方が全然違います。国後でしたら、古釜布、泊、あとは国境警備隊が駐在する瀬石、軍施設のある二木城の4ヶ所です。択捉は紗那、内岡、天寧など数ヶ所にしか人は住んでいません。択捉島は四島では最大で、日本で最も大きい沖縄本島よりも大きい島ですが、中心部にしか人は住んでいないのです。他のところは無人の地です。国後島も沖縄本島よりは大きい島ですが同様です。他のところはどうかというと自然がそのまま残っているのです。人がほとんどいませんから、生態系で頂点に立つヒグマの天下になっています。

ここでは船は接岸しません。我われが乗っていたエトピリカという船もそうです。そして、我われが艀に乗って岸に上陸している間、艀に残ったロシア人船員は釣りをしています。彼らの楽しみでもありますが。カレイなどは入れ食い状態で無数に釣れ、内岡沖ではオヒョウが目当てになります。また、オオカミウオという魚がいますが、これがこの時期の彼らの最大の釣果になります。

先日、視察も兼ねた旅行で羅臼に行きましたが、観光船に乗って2時間ぐらいするとシャチを間近に見ることができます。このように見ることができるのは日本では他にはなく、カナダの東海岸かコロンビアあたりまで行かないと見ることはできません。知床に行くと、道のそばにヒグマがいますが北方四島も同様で、自然が多く残っています。人が少ないから自然が豊かだという考え方もありますが、これほど自然が豊かだから多くのヒグマがいるとも言えるわけです。いずれにしろそのおおもとは流氷なのです。オホーツク海北部のアムール河から豊富な養分を含んだ流氷が毎年のようにやってきて、海が豊かになりサケが増えて、そのサケをヒグマが食べて、更にその余慶を受けていろいろな鳥類が繁殖し、世界的にみても極めて豊かな自然というものが残されているところです。このように、知床から北方四島、更にその北のウルップは一つの生態系を成しています。現在、日本は知床の環境を世界自然遺産として厳密に保護していますが、一方、北方四島ではロシアによる乱開発が始まっており、自然への影響が懸念され始めています。このような中、日本の自然保護団体は、北方四島全体、更にはウルップまで含めたところをユネスコの世界自然遺産にするべきではないかという提案をしています。

今回北方四島を訪問し、一人の日本人として「ここは日本列島と全く同じ地形、自然だな」としみじみ感じました。

 

新しい発想に基づくロシアへのアプローチ ~「名」と「実」をめぐる駆け引き~

それでは、政治の話に入りたいと思います。お手元にNHKの「時論公論」の資料をお配りしてありますが、一つは昨年の二月七日に私が担当した「北方領土共同経済活動の意味と課題」、もう一つは四月二十七日の「乱気流の中の日ロ首脳会談~何が話し合われたか~」のレジュメです。昨年5月の日ロ首脳会談以降、安倍首相は「新しい発想に基づくアプローチ」ということを言い始めています。私の専門は米ロ関係からエネルギー問題に亘りますが、昨年一年は「日ロ関係はどうなるのか、どのように動くのか」という取材など、ほぼ日ロ関係に集中していました。

安倍首相が提唱した「新しい発想に基づくアプローチ」とは一体何なのでしょうか。このことを調べて視聴者の皆さんに解説することが私の仕事ですが、それは交渉の根幹に関わることでもあり情報のガードが固く、なかなか全体像が掴めませんでした。そのような中で、昨年12月の首脳会談が終わった時点から「ああそういうことか」と腑に落ち始めました。いろいろな報道がありました。例えば、「二島返還」、「共同統治」という文字が読売新聞とか日経新聞に掲載されましたが、私はそのような記事が出るたびに、それは「新しい発想に基づくアプローチ」とは少し違うなというふうに感じていました。そのようなことは、既に今まで繰り返されてきたアプローチなのです。仮にも総理大臣ともあろう方が「新しい発想に基づくアプローチ」というからには、そこには間違いなく「従来にない新しいもの」があるはずです。そこで、一体「何が新しいのか」ということをずっと取材してきたわけです。

 

ではまず「古いアプローチ」とは何でしょうか。それから説明します。「まず北方四島に主権という線を引き、そこから島内での協力を行う」ということです。端的な例は、1998年の川奈会談で橋本総理が提案した「川奈提案」に見られます。これはどういう提案かというと、北方四島、つまり択捉島とその先のウルップ島の間に日ロの国境線を引きますが、施政権は当分の間ロシアに残すというものです。四島返還の中でも最大の譲歩となるカードを、我われは1998年の4月に実は切っていたわけです。これは非常に分かりやすいものです。皆さんの年齢になると返還前の沖縄のことを覚えていらっしゃる方も多いと思いますが、施政権というものは警察権、軍・行政権というものを含みます。つまり、主権という「名」はこっちにあるけれども、「実」はむこうに残すという最大の譲歩を行ったわけです。ところが、この提案に対してロシア側は拒否したのです。日本側としては、これ以上は譲れないという譲歩案でしたが、ロシア側は蹴ってしまいました。

仮定の話になりますが、もしもあの時ロシアが受諾していたとすれば、日本国民は四島返還が実現したと思ったことでしょう。でも実態は何も変わらないのです。ロシアの国境警備隊は存在していますし、「わっ、島が日本に戻ってきた」と思って日本の漁船が四島の領海に入ろうとすると拿捕されてしまいます。すると、今度は逆に日本国内がこのような事態に納得するのかという話が出てきます。

しかしよく考えるとこの案は深い示唆を含んでいます。主権が返ってくるということは、非常に大きな意義があります。北方四島は日本から極めて近くにありますが、不法占拠されている状態では、日本側は何も手出しができません。島内に入っていくことができないのです。そこで、この提案をもしロシアが受け入れたとすると、その瞬間に四島はいわば「合法占拠」になります。勿論施政権は向こうにあり、ロシア法の下にあるわけですが、合法ですから日本企業が次々に入って行き、企業活動を行うことができます。その結果、島の日本化が進み、ロシアはほどなく施政権も日本に返すことに同意するであろうと、そのような狙いを持っていたわけです。つまり、「国境線の確定とともに経済で四島を日本化する」という戦略でしたが、ロシア側が拒否して実現はしませんでした。

 

その後も、2001年の「イルクーツク声明」とか「ツープラスツー(外務防衛担当閣僚会議)」とかの動きもありましたが、結果として見ると、主権という観点から見ると、双方の立場はずっと正反対で、今も基本的にその立場は変わっていません。我われは北方四島をわが国固有の領土と当然のように思っています。ところが、ロシアは第二次大戦の結果、正当にロシアの領土になったと思っています。お互いに一切妥協できないままにここまで来ています。戦国時代でしたら、戦争で取られたものは戦争で取り返すしかないということですが、今の時代においては平和が絶対ですので、「平和裏な交渉によって領土問題を解決する」ということでしょうが、結果として、状況の進展は全く見られません。

安倍首相は日ロ交渉にかなりな熱意を持っています。「領土問題を解決して日ロ関係を動かしたい」と。もっとも、彼の頭の中には、日ロ関係だけではなくて、憲法改正をはじめ、慰安婦問題或いは竹島問題など、戦後残された問題を全て自分の代で解決して次の世代には残さないという信念みたいなものがあると思われます。北方領土問題についていえば、憲法改正と並ぶ重要課題と位置付けていると思います。しかしながら両国の原則的立場は対立したままになっています。そのような時に、1998年頃の外交交渉の経緯をつぶさに研究した人が安倍首相の前に現われたのでしょう。逆転の発想による新しいアプローチです。

よく外交官の方が「自分の時は」とか「自分の後になって」とよく言われますが、結局、外交交渉というのは結果が出なければ駄目なのです。ですから、この「新しい発想のアプローチ」も今の段階では評価できません。

 

逆転の発想 ~まず北方四島の日本経済圏化を~

(以下、機関誌「日本の国防」平成30年1月新年号に掲載)