「古野繁實海軍少佐 七十五周年慰霊祭 追悼の辞」
水崎 勝彦(公益財団法人日本国防協会評議員)
(平成28年12月8日)

平成二十八年十二月八日、七十五年前の真珠湾攻撃と同じ日に、福岡県遠賀町において、真珠湾攻撃に参加して戦死した「特殊潜航艇特別攻撃隊員 古野繁實海軍少佐 七十五周年慰霊祭」が行われました。

 

古野繁實海軍中尉(当時)は遠賀町に生まれ、長じて海軍兵学校に入校し、卒業後は戦艦の乗組員をへて、真珠湾攻撃特殊潜航艇の艇長として潜水艦「伊18」から出撃し戦死されました。

 

ここに、故古野繁實海軍少佐の七十五周年慰霊祭において、公益財団法人日本国防協会評議員の水崎勝彦氏が捧げた「追悼の辞」を紹介します。

 

 

「今を去る七十五年前の今日、わが国はハワイのオアフ島真珠湾の米国海軍艦艇に奇襲攻撃を行いました。

昭和十六年十二月八日、ハワイ現地時間七日午前六時四十五分頃、真珠湾口付近を対潜哨戒中の米海軍駆逐艦「ウォード」は湾内に入港中の米海軍補給艦に続いて湾内に向かう潜望鏡を発見、四インチ砲ニ発を発射、一発が潜水艇の上部構造物に命中したのが確認されましたが、その後の消息は永らく不明でした。平成十四年、ハワイ大学の潜水調査が行われた結果、湾口2.5マイル、水深四百メートルの海底に横たわる小型潜水艇は、直径約十センチの砲弾貫通孔と水没地点から古野少佐艇と確認されました。本日、平成二十八年十二月八日、このときからまさに七十五年が過ぎ去りましたが、古野少佐は、本日ただいまも往時の任務を遂行しつつ、はるかハワイ・オアフ島沖海底におられることを思うとき、まさに深甚なる敬意と今に残るこの現実の前に、われら一同はただただ粛然とするばかりであります。

少佐は、大正七年五月十日、この地に生まれられ、東筑中学校から昭和十年四月、帝国海軍兵学校に入校。卒業後は、戦艦「八雲」、戦艦「伊勢」の乗組員をへて、昭和十六年十月海軍中尉に任官、十一月十日伊号第十八潜水艦に乗組み、翌月八日ハワイ真珠湾特別攻撃隊に参加されました。このとき少佐、若干二十三歳でありました。あらためて、当時の時代背景と開戦に至る経緯を振り返りますと、わが国の人口は、明治初年の約三千三百万人から少佐生誕の大正七年には五千七百万人と二倍近くとなり、当時農業国から軽工業国に脱皮を図るわが国は、狭小な国土に人口増加の圧力から、海外への移民推進、アジアにおける西欧諸国家の植民地政策の領域拡大圧力に対して、平和的な通商拡大の交渉を行い、産業構造の転換を図りました。しかし、米国は、わが国のアジアでの勢力伸長を怖れ、中国大陸からの全面的撤退などの海外既得権益の全面放棄を一方的に通告するにおいて、米国の要求通りに唯々諾々と撤兵と撤退を行うことは、国家的な経済破綻、大規模かつ壊滅的な国内の混乱を招来することは明らかでありました。昭和天皇はやむなく、ここに「帝国は今や自存自衛のため、蹶然起って一切の障礙を破砕の外なきなり」と開戦の詔書で示されました。開戦時のわが国の人口はこのときおよそ七千万人でありました。この国難打開に当たり、わが帝国海軍は開戦劈頭、米国太平洋艦隊主力戦艦部隊に奇襲攻撃を敢行、まさに古野少佐の潜水艇の真珠湾潜入は航空部隊による主攻撃に先立つものでした。

戦後永らく、この真珠湾攻撃は、わが国の対米通牒、最終第十四部の手交遅延のため、いわゆる「騙し討ち」の汚名を着せられ、さらに、今次大戦、大東亜戦争はわが国の領土拡張と資源獲得の一方的侵略であったとの非難にさらされてまいりました。加えて終戦間際にわが国に加えられた非戦闘員である一般市民を目標とする無差別焼夷弾攻撃、広島と長崎への原子爆弾投下という、戦時国際法に違反した戦勝国の戦争犯罪を覆い隠すために、占領政策でわが国は悪い国だったとする教育が行われました。施政権返還ののちも誤った教育が続けられてきた結果、国旗掲揚と国歌斉唱さえも忌避される、加えて戦地に斃れた軍人と兵士に対する慰霊は心ある一部の国民を除いて、弊履のごとく打ちすてられてまいりました。こんにちわが国は、世界に冠たる長寿の国となり、百歳を超える方も少なくありません。古野少佐がここにご存命であれば、本日は九十八歳六カ月となられます。平成の世も二十八歳となり往時の世界情勢の中で、わが国がどのように生きていこうとしたのか、その中に自らの人生を置いた諸先輩が如何に過ごされたのか、体験された方が少なくなりつつある今、本日の七十五周年慰霊祭は、一人古野少佐の功績を讃えるのみならず、かつての国難に殉じられた先人の魂をこの先も語り継ぎ、苦難と困難に際して正々堂々とことに当たる勇気を後に続く若い人々に継承していくことが、本日ここに参集したわたくしたちの使命であると思います。

今もはるか、真珠湾口水深四百メートルにおられる古野海軍少佐の御魂にあらためて感謝を捧げますとともに、古野家皆さまのご発展とご健勝を祈念して追悼の辞とします。」

(平成28年12月8日)

われわれの歩みは、過去から未来へ連綿と続く歴史の上にあります。人々は、過去の歴史を直視し、過去の人たちの思いに心をはこび、自らを犠牲にした尊い行動に誠を捧げることによって、過去の教えをわがものとして、未来への道を切り開く智慧と勇気を身につけることができます。

温故知新、暦に刻まれた特別な日に、碑が建てられた記念の場に身をおき、先人をしのび未来に思いをはせる、そのような一瞬をこれからも大切にしていきたいと思います。終わりに、古野海軍少佐の辞世の句を紹介します。

 

『君のため 何か惜しまん 若桜 散ってかいある 命なりせば』

 

(文責 日本国防協会事務局)