[第6回国防講座]
武力行使とは何か ~集団的自衛権より集団安全保障を~
冨澤 暉 氏(東洋学園大学名誉教授、元陸上幕僚長)

国際法(国連憲章等)からいえば、加盟各国は自衛(個別的・集団的自衛を含む)行動において認定された武力行使が許され、集団安全保障における武力制裁に参加することができるとされている。「集団的自衛と集団的安全保障」については、第3回国防講座「安全保障とその手段~国家安全保障と国際安全保障~」の「2.国家安全保障から国際安全保障へ (5)集団的自衛(共助)と集団的安全保障(公助)の違い」のところで、「共助」と「公助」の観点から考察したが、ここでは事例等委をもってさらに具体的に説明していきたいと思う。

 

1.集団的自衛権行使と集団安全保障措置の相違

①集団的自衛権行使について

自国が襲われたとき、自力救済たる正当防衛(自衛)で反撃してもよい、ということについては刑法も国際法も同じで、これを正当防衛(自衛)というのだが、後に「集団的自衛」が認められるようになってからは国際法上、これを「個別的自衛権」というようになった。次に、国際法的には同盟条約をもつ国、或いは被害国からの要請がある場合については、その国を守るという目的のもちに自衛が許されるようになった。これが、今話題になっている「集団的自衛権行使」となるのである。

「集団的自衛権とは何か」という説明は国連憲章にはない。そのため、ハンガリー動乱やチェコ動乱へのソ連の介入、ベトナム戦争、ニカラグア・コントラ戦争へのアメリカの介入等、集団的自衛権発動による戦争の度に、その正当性が問われてきた。その結果、国際司法裁判所が「攻撃を受けた国が第3国に援助要請をすることが必要」という要件を提示し、これはどうやら定着してきたようだが、さらに現実にはいろいろな問題が残っており、集団的自衛権行使の典型的事例を提示することは困難になっている。

 

②集団的自衛権行使と集団安全保障措置の相違

現在、「国際法と国連軍」が機能していれば問題はないのだが、現実には、国連憲章に書かれた国連軍による集団安全保障(秩序維持)は機能していない。そこで、国連はいろいろなことを考え、現実的な対応として多国籍軍や国際連合平和維持活動(PKO)、そして有志連合軍を創造した。これらの手段はいずれも国連憲章に明記されていないものばかりで、国連参加国と国連事務局の人たちが創りあげていったということになる。したがって、これらは国連憲章に基づく正規の集団安全保障手段とはいえず、国際慣習法ともいうべきものなのである。

PKOは集団安全保障を実現し、紛争において平和的解決の基盤を築くことにより、紛争当事者に間接的に紛争解決を促す国際連合の活動である。1956年のスエズ危機に国際連合緊急軍が危機を鎮圧し、以来60年、PKOは何回かの失敗を乗り越えて成果を上げてきた。しかるにこの活動は「6畳半」(国連憲章6章「紛争の平和的解決」と憲章7章「平和に対する脅威即ち平和の破壊及び侵略行為に関する行動」の中間という意味)と呼ばれ、国連憲章には明文化されていない。

 

次に、集団安全保障の有志連合について、イラク戦争の例から考えてみたい。先ずこの戦争は、開戦時に米報道官の「米英の先制的自衛権行使」という言葉はあったものの、イラクに対する自衛戦争であったとは言えない。湾岸戦争後の国連決議にイラクが従わなかったという理由だけが一貫して説明されており、特定国がイラクの攻撃の前に危機に瀕していたという事実がないからである。無論、イラクに対抗するイランやクウェートがその個別的自衛のための集団的自衛を各国に要請したという記録はなく、また米国の呼びかけに答えた国々の中には米国と同盟関係にない国も参加しており、逆に本来の同盟関係にあった国でも参加していない国もあった。これらのことから、有志連合の行動を集団的自衛の集合だなどということはいえないわけである。

また、この戦争が集団安全保障に基づく制裁戦争であったか、ということについてはどうか。制裁戦争の意義についてはいろいろ議論があるにしても、30数カ国がその意義に賛同して兵を送ったことは事実であり、そのほとんどの国は、イランやクウェートの自衛を助けるためではなく、世界の平和(秩序)維持のために中東地域の参戦に加わったと思われる。それ故、この戦争は制裁戦争であり、集団安全保障措置だったと云わざるを得ない。国連(United Nations)を日本語では「国際連合」というが、中国がそうしているように「連合国」と訳すのが正しい。集団安全保障の考えは国際連盟の時代から続くものであって、それは現在の国連にだけ発するものではない、と理解する必要がある。「有志連合」もまた立派な連合であり、集団安全保障を体現できるものと解釈すべきである。

 

2.集団的自衛権より集団安全保障

①集団的自衛権の限界~グレーゾーン対応の問題~

例えば、公海上で並行して航行するアメリカの艦船が攻撃された場合、日本が「集団的自衛権」を行使して助けるという話を政府は折に触れてしているが、現状では米艦どころか日本の僚艦が攻撃された時でさえ、防衛出動命令が出なければ反撃できない状況である。つまり個別的自衛権が認められていても、「防衛出動命令」が出なければできないことを集団的自衛権で解決しようというのは無理がある。明らかに国際情勢の雲行が怪しくなってきて、政府が事前に防衛出動待機命令を出し、何か起こればすぐに対処するというのが理想であるが、事態はそううまくはいかない。何の前段もなく、突然に奇襲を受けた場合にどうするのか、この状態がグレーゾーンである。

 

②集団安全保障の基本的考え

国連は国連憲章にあるとおり、加盟国に対して理不尽な攻撃があった場合、加盟各国みんなが立ち上がって勧告をし、従わなければ経済制裁を行い、それでもダメなら武力制裁を行うというシステムになっている。これは間違いなく、集団安全保障の考え方である。しかし、現実の問題としては、利害が錯綜する安保理の関係などで集団安全保障ができない場合或いは間に合わない場合、集団的自衛権で対応することとなる。つまり、集団安全保障が集団的自衛権に優先するのであり、「この国に手を出したら、国連加盟国がこぞって制裁を加える」という枠組みを作っておくことが抑止になる、これが集団安全保障の基本的考え方である。

日本は国民に対しては「武力行使にかかわる国連の制裁行動には参加しない、自衛隊は軍隊ではないので軍隊としての行動はできない」としているが、「あなたがやられても私は何もしませんが、私がやられたら助けてください」では虫がよすぎる。仮に日本が国連憲章違反にあたる攻撃を受けた場合、各国から何もしてもらえないことになりかねない。これが政府のいう「一国平和主義の限界」で、「みんなで国際秩序の維持に尽力しよう」という積極的平和主義のあり方は、実は集団安全保障と定義すべきである。

 

③米国が求める貢献とは

アメリカの陸軍で「集団的自衛権」という言葉を使う人はほとんどいない。海軍には多少見られるものの、むしろ日本から逆輸入されたような形である。彼らが言うのは「集団防衛」、「共同防衛」で、つまり「みんなで守ろう」という集団安全保障の考えである。

仮に朝鮮半島有事発生の際には、日本は「韓国を助けに行くアメリカを掩護する」という形で間接的に韓国を助けることになると思うが、実質にはアメリカを中心とする集団安全保障である。アメリカとの二国関係が強調される集団的自衛権にばかりとらわれていては、日本はむしろ動きがとりづらくなる。そもそも、アメリカの軍事力は他に比べて圧倒的で、単独で戦える力を十分に持っているので、自衛隊が助けなければアメリカが危ないという事態はほとんどあり得ない。アメリカは日本に対して集団的自衛権の行使を求めているのか、私はこれに疑問を感じる。

 

④秩序を皆で維持する仕組み

「集団安全保障は憲法上認められない」といくら言ったところで、現在の防衛体制は各国とのネットワークで動いている。ミサイル・ネットワーク・ディフェンスと云われるもので、各国のイージス艦(日本8隻、アメリカ数十隻、韓国3隻、豪州4隻を2020年まで)と、韓国と台湾にあるレーダーサイトがネットワークを構成し、レーダーが「ミサイル発射」の情報を捉えたら、「どこに展開しているイージス艦で撃ち落とすのが最も効率的か」を瞬時に計算し、指令が下される。これは「ミサイルを撃ってきてもこのシステムで攻撃を無効化する」と示すことによって攻撃を抑止する。つまり、世界の平和と安定につながっているのである。このような軍事の現実の状況を考えても、日米間の集団的自衛権を強調するよりも「日米韓豪をはじめとする集団安全保障体制である」としたほうが納得する人は多いと思われる。

集団安全保障の考えであれば、たしかに圧倒的な戦力を持つアメリカが中心ではありが、日本も「各国とともに積極的に国際貢献に参加する」ことで「米国との二国関係」にとらわれずに「国際秩序の維持」に貢献できる。このような大きな観点を日本は持つ必要がある。

集団安全保障については、安保法制反対派であっても理解し易いと思われる。米軍と一体化し、日本がどんどん戦場へ出て行くのではないかと懸念するような人たちでも、日本が国際平和の維持に関して全くノータッチでいいとは思っていない。そういった人たちにとっては、集団安全保障の考え方が受け入れ易い。

 

⑤独立と平和を守るため

日本国憲法は、平和は強調しても独立については書いていません。「オキュパイド(Occupied)憲法」だから当然です。本来なら、主権回復を果たした1952年4月28日の時点で憲法も変えるべきだった。それがなされないまま、70年経ってしまったのは問題であるが、平和と独立はどちらも同じくらい大事なものであることを絶対に忘れてはならない。

今は圧倒的戦力を誇っているアメリカも、今後は相対的に衰退していく。日本は独立と平和の両方を守りながら、「アメリカの植民地や属国になるつもりはない。独立国として国際社会と連携し、平和と安定の維持に必要なことに積極的に参加していく」との姿勢を、国を担うリーダーには強く打ち出し、必要な法整備を行ってもらいたいと思っている。

(平成30年3月23日)

 

「逆説の軍事論」引用

新潮社Foresight(フォーサイト)引用

WILL(2015年9月号)引用