[第4回国防講座]
軍事の変遷 ~国家間決戦なき時代の軍事~
冨澤 暉 氏(東洋学園大学名誉教授、元陸上幕僚長)

1.20世紀の軍事とその時代区分

いうまでもなく、第2次大戦までの世界は多極時代であった。その時々により、何がしかのランキングはあったが、各国とも努力次第ではそのトップに立つことも夢ではないと考え、互いに鎬を削っていた時代である。無論、単独での戦争は難しいので、いわゆる合従連衡を繰り返してはいたが、現今の同盟とは意味が異なり、「昨日の敵は今日の友」でありその逆もまたあり、というものであった。

1945年、第2次大戦終了後は米国中心の一極時代がやってきた。勝者連合の一員であるソ連、中華民国、イギリス、フランスなども疲労困憊の体で本当の勝者とはいえなかった。当時の経済・軍事・技術のあらゆる分野において米国は世界の頂点にあり、各分野におけるその寡占度の大きさは現在の米国の比ではなかった。この間、西欧各国の多くの植民地が独立した。45年に米国主導で設立された国際連合は勝者連合の主要5か国を安全保障理事会の常任理事国とし、米国一極体制(秩序)維持に協力しており、植民地戦争以外に大きな戦争はなかった。

しかし、ベルリン封鎖、朝鮮戦争を契機に一極は二極に変わってしまった。二極になった理由は、ソ連への「大量破壊兵器の拡散」と中国発の「非対称脅威(ゲリラ・人海戦術)」により米国の力が相対的に縮小したためである。以降、世界は東西両陣営に分かれ、米ソ両巨頭同士は直接戦火を交えなかったが、朝鮮・ベトナム戦争に代表される代理・局地・制限戦争が行われた。このような中、ソ連邦体制が崩壊をした。ソ連崩壊の原因は未だ明確ではないが、米国のSDI(宇宙戦争構想)攻勢に「追いつき追いこせ」と努力したことが社会主義経済を破壊してしまったため、ともいわれている。

ソ連崩壊後の世界は再び米国一極体制となったものの、「大量破壊兵器の拡散」と「非対称脅威」が安定した一極を不安定な多極に戻す脅威として働き、今日、「米国は衰退し、世界は多極化している」との見方が世界に広がり、日本でもその説に同調し発言する者が多くなっている。しかし、当分の間、米国の軍事的一極体制は揺るがず、その力の投射が世界に向かう限り、地域的軍事大国の存在も許されないとみる向きが多い。

その意見には異論もあるだろうが、問題は、日本と世界の平和のため、一極がよいのか多極(二極)がよいのかという判断である。日本にとって多極化世界が好ましいのなら多極化を加速させるように行動すべきだし、一極維持が好ましいならそれに協力しなければならないからである。さまざまな意見があるのだろうが、一極秩序維持に協力しつつ、日本独自のものは日本自身の努力で守っていくべきであり、それはまた可能である、というのが日本人の平均的見方ではなかろうか。

 

2.朝鮮戦争・ベトナム戦争がもたらしたもの

①核兵器は使えない

朝鮮戦争は「その後の世界の軍事に大きな影響与えた」という意味で極めて画期的なものであった。第一に「核兵器は使えない」ことが明確になった。1950年から51年にかけての冬に中国義勇軍の参戦により苦境に陥ったマッカーサー国連軍司令官は核兵器を使おうとしたが、欧州の政治家から「核使用は不可」といわれた米大統領がそれを許さず、他の理由をも含め、司令官を辞めさせてしまった。核兵器が使えないということで、通常型兵器の重要性が再浮上したが、一方「何とか核兵器を使えないか」という要求が出て戦術核(小型核)運用の研究が盛んになったが、長崎への投下以降今日に至るまで実戦における核爆発は一度もない。「核は核を呼び、世界の滅亡につながる」と信じられるようになったのである。

②通常兵器のプレゼンスによる戦争抑止

通常兵器による戦争は確かに可能となったが、その通常兵器で核を持つ相手を追い詰めると「或いは核を使うかも知れない」というおそれが再浮上するようになり、そこで通常兵器による国家間決戦も不可能となった。この時期以降の世界の戦争はほとんどが局地限定戦となり、最後は米ソといった超大国が政治決着をつけるかたちとなった。世界は集団的自衛権に基づく同盟の時代に入っていくのである。米国中心のNATOとソ連中心のWP(ワルシャワ条約機構)が対立する時代となった。

北朝鮮が統一を求めて38度線から南下した理由は「韓国軍は弱く、米軍は出てこない」と読んだためである。確かに当時韓国に米軍はおらず、「米国の防衛線はアリューシャン列島~日本列島~フィリピンにある」と公言し、韓国軍にまともな装備を渡すこともなく、朝鮮半島南部はまさに軍事的空白であった。この戦争の結果、「軍事的空白は相手からの侵略を呼び込む」と思い知った米国は、じ後、軍事的空白地域を作らず、そこに即応性を持った部隊をおくことに戦略を変更した。相手の侵略を抑止し平和を維持するため、核兵器ではなく、通常兵器を持った部隊を通常時から世界全体に再配置することになった。そして、ソ連も同様なかたちをとることにより、熱戦は生起しにくくなり、本格的冷戦期に入ったのである。

③国民軍から職業軍へ、徴兵制から志願制へ

かつての軍隊、特に陸軍は戦争が始まってから動員されて戦場に駆けつけるというかたちをとっていた。しかしこの時期以降、陸軍も動員軍から常備軍のかたちに逐次移っていき、抑止のために「戦闘」よりも「訓練しつつ存在(プレゼンス)」することを重視するようになっていく。常備軍は徴兵制の軍隊でも維持できないことはないが、部隊交代の頻度や訓練の錬度維持の効率性からいえば志願制の方が維持しやすい。そしてこれを機に、各国の徴兵期間が短縮される事象とともに先進国の軍隊は徴兵制から志願制に移行していく。この変化を職業軍化ともいうが、職業軍化は長期勤務を意味するので訓練の積み上げが可能であり、より精強な軍隊が期待できる。一方、人件費が嵩むので少人数軍隊となる。同時にそれを補うためにも機械化・情報化が進められ、軍隊の選良集団化という結果がもたらされる。

④海空重視、技術兵器(スマート爆弾・ヘリ機動)重視

ベトナム戦争は米国にとり、共産主義勢力の世界への進出をここで止めない限り、いわゆるドミノ現象で自由主義陣営が危うくなる、と認識するものであった。先にも述べたように、結局はテロ・ゲリラという非対称脅威に敵わず米国は自ら手を引いてしまったのだが、何といってもこの戦争の結果、米軍が徴兵制を志願制に切り替えたということが最大の変化であった。民兵から始まった米軍が国民軍を捨てたのである。

軍事技術的にはヘリコプタの活躍とスマート(誘導)爆弾の出現が特筆すべきものであった。米軍は南ベトナムの農民を各地の戦略村に閉じ込め、彼らを北のゲリラから守る作戦をとった。この戦場では「空飛ぶ天使」と呼ばれたヘリコプタが活躍し、初めは救難専用であったが、次第に多用途に用いられるようになり、ドアガンを装着して戦闘ヘリとしても使われるようになった。

北爆の効果はあまりなかったとされるが、ここで出現したスマート爆弾は、その後発展したいわゆるITピンポイント爆撃の原点となるものである。このピンポイント爆撃は、旧ユーゴ関連紛争、アフガン・イラク戦争において、高まる人道重視(住民に被害を与えない)声に応えるのみならず、弾薬量の削減につながる効率的攻撃方法として評価を得たが、都市部におけるテロ・ゲリラ戦や発見困難で地下深くに存在する陣地に対しては限界を露呈している。米軍は引き続きIT化・機械化によるテロ・ゲリラ対策を模索しているが、やはり今のところ、人間による情報、人間による対応(歩兵同士の戦闘)に優るテロ・ゲリラ対策はないようである。

 

2.20世紀後半から21世紀を洞察する

20世紀後半の軍事上の特徴を一言でいえば、やはり「国家間決戦なき時代」と評すべきではないだろうか。田中明彦が「新しい中世」という著書の中で「多様な主体が関係を取り結ぶ新中世圏に入った国同士は戦争をしない。とりわけ経済的相互脆弱関係と軍事的脆弱関係は、紛争が戦争に至るのを防ぐ傾向がある」と述べている。ナポレオン以降の150年を経て、「いくらかでも有利を獲得し講和条約に利用すること」を目標とした時代、いわば中世の時代に戻ったということである。そのような時代を20世紀の半ばに再び作り出した要因はいうまでもなく「核兵器」と「超大国」である。「ともに潰れるような戦争はできない」と各国が悟ったのは「核兵器」のためであり、その悟りを更に強固にしたのはすべてを一蓮托生(相互依存)として締め付けようとする「超大国」の存在であった。

その結果として世界の軍事界に形成されたものは、「集団安全保障」または「集団的自衛権」を用いた「共同防衛」であり、これに対する新たな脅威が「大量破壊兵器の拡散」と「非対象脅威」という比較的小さな、しかし厄介な「不特定脅威」となった。この脅威が、安定した一(二)極体制を不安定な多極体制に変更させるもの、即ち現世界秩序を破壊するものとして今警戒されている。

多極化は世界の価値観にも及び、「米国の生活様式(アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ)」は魅力を保ちつつも、世界共通の価値観とはなり得ず、各国・各民族が持つべき価値(歴史・伝統・文化・宗教・名誉等)もまた各国の自由となり、民主主義のあり方も各国の自由となってしまったのである。「力は一極、価値は多極」の時代が来た。

 

この時代を律すべきシステムとして、今、「国連中心の集団安全保障」と「米国中心の集団安全保障」が併行して存在するかにみえる。しかし、国連は元々米国一極を公認するための組織であり、米国と国連は世界秩序維持のための車の両輪なのである。現在、世界の有力国はすべてこのことを認めているが、大量破壊兵器を拡散させ、テロ・ゲリラ等で世界秩序を変えようとする一部の国(グループ)だけがこれを認めていない。だから、彼らが今、世界の脅威(敵)なのである。世界の主要国はそれぞれに自己主張を繰り返しつつも、この全体の動きを認めその世界の体制内において、自らの果たすべき責務を遂行せんとしている。

この一極体制が再び二極体制になるとしたなら、米国の対極になるのは中国だとする意見に異論はないだろうが、その時期は来るとしても15年以上先だろうと見られる。中国の軍事費は近年急激な伸びを見せてはいるが、2010年時点で、未だ米国軍事費の25パーセントにも満たないからである。この約70年間、軍隊は一般に、①陸戦から空戦に、②通常兵器から核戦にそして再び通常兵器に、③個別的安全保障から集団的安全保障に、④「外交の失敗を整理する軍隊」から「外交のための軍隊」に、⑤「国民軍」から「国民に信頼され委嘱されたエリート職業軍」に、⑥「人力中心の軍隊」から「機械化・ロボット化・IT化の軍隊」へ、即ち「戦乱時に戦う軍隊」から「平和維持のための軍隊」へと変化してきたかにみえる。しかし、それぞれの変化自体になお決め付けられない問題点が残っており、これらの各変化を組み合わせることによって、さらに新たな変化が生じうる複雑な時代を迎えている。

そして何よりも、この変化を支えてきた米国という「新世界」の今後の消長と、台頭する中国が「新中世圏に入った国同士は戦争をしない」ともいわれる中、「相互依存に生きる新中世国家」に脱皮できるかどうかにかかっている。それがその他の国々における国家観までを変え得る二重の鍵となる。

ともあれ、軍事・軍隊についていえば、「IT化・機械化・エリート化した近代戦力では、非対称脅威であるテロ・ゲリラには結局のところ対応できない。ならばどうするのか」ということが、当面、最大の課題といえよう。

(平成30年2月23日)

 

「逆説の軍事論」引用

「国際政治経済を学ぶ」引用