[第1回国防講座]
これからの世界・日本のための「コモンセンス」
冨澤 暉 氏(東洋学園大学名誉教授、元陸上幕僚長)

1.「国家間決戦」は消滅した

第2次大戦終結以降、日本が連合国と戦った戦争即ち「国家間決戦」は世界から消えてしまった。クラウゼヴィッツのいう「絶対的戦争」即ち、敵国の首都まで進撃し、敵国土をわが物にするか賠償をとり二度と刃向わないと約束させるかという戦争である。

「国家間決戦」の消滅は「核兵器」と「超大国」の出現によってもたらされた。「核兵器」を持つ二国が対立すると「共倒れ」になるため「国家間決戦」はできなくなった。

「核兵器」を持たない国同士が「国家間決戦」をすることはあり得るが、彼らに影響力を持つ「超大国」が干渉するためそれもできなくなる。朝鮮戦争・ベトナム戦争・中東戦争という戦争もあったが、それらは米・ソ二大国のコントロール下の局地戦、代理戦、制限戦であり世界大戦とはならず、核兵器は決して使われなかった。

ソ連崩壊までの世界は米ソ二極による冷たい平和の時代であったといえる。この時代の戦死者の数は20世紀前半の3分の1ほどに減じた。

1991年のソ連崩壊以降、中国の台頭が目覚ましいものの世界秩序は米国を中心としてより安定的なものになった。

このような「超大国」による一極或いは二極体制が緩み、多極・無極に変化に戻るのではないかというのが現在の世界秩序・平和維持上の問題点である。

 

2.多極・無極化だけは防がねばならない

多極・無極になることは第2次世界大戦前夜に戻ることであり、極めて恐ろしい。しかし、米・中がそれぞれ厳しい国内問題を抱えつつも、人口、経済、軍事において隔絶した力を保有し続け共存できれば、この米・中2極秩序はまだまだ安定しており、世界がこれを飛び越えて一挙に多極・無極化することはない。

ただ、多極化の兆しがないわけではない。比較的小さな国家や民族のグループが世界にはあり、その幾つかが「核兵器拡散」と「大国に非対称な軍事力(テロ・ゲリラ)」をもって世界秩序・平和を擾乱しようとしている。これらの擾乱を放置しておくと世界秩序・平和が乱され、多極・無極世界への変換に繋がっていく。

それに加えて、ウクライナをめぐるロシアとの角逐、イギリスのEUからの離脱、トランプ大統領のアメリカファースト問題、中国の共産党内権力闘争等々各国内に起因する問題が世界先進国の足並みを更に乱れさしている難しい時代になった。

このような世界情勢の中、各国は自らの「平和と独立」をこの世界の中で確立していかなければならないが、平和と独立は元々矛盾するもので100%の平和を求めれば独立は制限せざるを得ず、100%の独立を得んとすれば平和を譲らざるを得ないのである。それを判断するのは「軍事を背景とする外交」と「民意を背景とする内政」の均衡をとる政治の仕事である。何れにせよ軍事や民意を無視した政治は成り立たない。

現在の日本はこの主題に直面しており、国民の意見はなお一致していないかに見える。ともかく時代は変わっており「国家間戦争」に一挙に戻ることはあり得ない。それよりもこの時代に適した最良の道は何かと冷静に判断すべき秋(とき)である。それを判断するのは外務省でも防衛省でもなく、日本の主権者である国民一人一人であり、その結果は一人一人の責任だと承知して欲しい。

 

3.一国平和主義は世界に通用しない

第2次大戦の頃までは「外交の及ばざるところを軍事で解決する」ということが多かったが、現代は「軍事を背景とした外交」により世界秩序・平和を維持し、その中で互いの平和を確保するという時代になった。

だが日本だけは以前と変わらず、戦後も「一国平和主義」を貫いてきた。「世界は平和でなくとも、日本だけが平和であればよい」という考え方である。左翼の人々は「軍事力さえ持たなければ日本は平和であり、日本が平和であればそれでよい」と考え、右翼の多くは「ともかく世界一の米国に頼っていれば日本は平和であり、自衛隊の力は米国の許す範囲の最小限でよい」と考えた。

1990年8月にイラクがクウェートに侵攻した際、ブッシュ大統領が主張した米国中心の有志連合軍が国連安保理の決議を経て国連認可の多国籍軍となり、1991年1月に攻撃を開始し2月末にはクウェートを奪回した。この攻撃に際し、日本でもこの多国籍軍に自衛隊を参加させるかどうかで議論があったが、結局は多国籍軍参加に代えて、橋本龍太郎大蔵大臣が130億ドル(1兆7,000億円)の金を出した。しかし湾岸戦争終了後、クウェート政府が米国有力紙に30か国の国名を記した感謝広告を出したが、その中に日本の名はなかった。

 

4.集団的自衛ではなく集団安全保障を

それから四半世紀を経て、現在なお集団安全保障措置と集団的自衛権の違いを説明できる政治家が日本には殆どいない。

集団安全保障とは、「まず話し合い」、「経済制裁等非軍事的措置」をとり、やむを得ざる場合には軍事的措置をとるという一連の行動を総称するものであり、集団安全保障イコール武力行使というものではない。それ故、軍事が外交の背景として機能すべき現代において、最も重視されるべき手段なのである。

自衛隊が出来てほぼ60年、日本では個別的自衛権だけが許されていたが、2年前から「限定的集団的自衛権」も認められるようになった。しかしながら、内閣法制局による「国連軍として海外で武力行使することは、わが国を防衛するための必要最小限の範囲をこえるので憲法上許されない」とする解釈に見るとおり、集団安全保障とは大きく異なっている。

集団安全保障の話をすると「それは国連軍のことだろう、そんなものは見たこともない」という人がいるが、湾岸戦争時やイラク復興時の安保理決議に基づく多国籍軍の行動は完全な集団安全保障措置である。

PKO、人道支援のため部隊を外地に派遣することも、国連軍地位協定に基づき朝鮮戦争参加各国軍に日本国内基地の使用を認めていることも、6か国協議に参加することも、全て集団安全保障措置であり自衛権とは無関係である。

 

5.日米安保条約とは何か

「日米安保条約によって米軍が日本を守っている」という表現は間違いである。米国は無論「日本領域において武力攻撃があった時には共同防衛をする」と約束しているが、あくまでも「米国中心の世界・アジア秩序を守るため、安保条約に基づく在日米軍基地を利用している」のである。

日本が米国だけを頼りにしているのとは違って、米国は自力を信じ、他国の軍事力はさほど期待していない。しかし、政治外交力としての「ショウ・ザ・フラッグ」には期待しており、小さくともより沢山の旗を要求している。日本では「日米安保さえあれば」という意見が多いが、米国にとっては「米日」・「米韓」・「米豪」・「米印」・「米越」さらには「米中」までもが欲しいのである。つまり米国は他国からの集団的自衛など期待しておらず、それ故、NATO条約でも日米安保条約でも、国連憲章51条引用にあたっては「集団的自衛権」という言葉を用いながらも、その行動としては「集団的自衛」という言葉を使用せず「集団防衛」または「共同防衛」という言葉を使用するのである。その「集団防衛」・「共同防衛」の集合が「有志連合軍」だと考えるならば、米国は「米国の自衛を助ける集団的自衛権行使」を求めているのではなく、あくまでも「米国中心の集団安全保障体制」への参加を他国に求めているのだと理解できる。そしてその要求に応えることが世界・アジアの秩序・平和を安定させ、翻って日本の平和に資するのだと理解すべきである。

 

6.軍事上の諸問題…日本の現状

1950年勃発した朝鮮戦争は未だ終結していなり。1991年に北朝鮮と韓国の同時国連加盟が認められて以降、北朝鮮は何度となく安保理に対して講和と国連軍司令部の解体を要求したが、これは認められていない。現在、国連は北朝鮮の核ミサイル開発を非難して、これに経済制裁を科している。この経済制裁が真に効果を表し始めた時が最も危険である。本当に世界に孤立したと感じた時の独裁者の行動は何よりも恐ろしい。

北朝鮮の最終目標が自ら主導する朝鮮半島統一であるかぎり、彼らが韓国に先制核ミサイル攻撃をすることはない。無論、米・中・ロの核保有大国にそれをする筈もない。それをやれば翌日に平壌が壊滅するからである。唯一、日本攻撃だけが可能性を持つ。無論「米国の核の傘に穴があいていないか」という難しい条件如何なのだが、その解釈についての北朝鮮・日本・米国間の認識の相違が危機をもたらすであろう。

日本の軍事力が独力でこの日本攻撃を阻止することはできず、反撃力によってこれを抑止することもできない。日本はこのような事態発生に伴う「テロ・ゲリラ攻撃」があることも覚悟しなければならない。北朝鮮にはテロ・ゲリラに使用できる十数万もの特殊部隊員がいるが、そのほんの一部と予め日本に潜入させている在日民間人等を使用して原子力発電所や新幹線や通信中枢等を攻撃された場合、脆弱な日本は甚大な被害を受けるものと予測される。

中国は今や自らを大国と自認し米国とのG-2関係を目指しているので、日本を武力攻撃して何かを奪取するということはしない。中国は自ら今は三戦(心理戦、広報宣伝戦、法戦)の時代と言っている。彼らはこの三戦によって既に日本の「弱体化工作」を進めておりその矛先を「沖縄独立運動」に向けている。沖縄に米軍が居座るかぎり誰もこれを力で追い出すことはできないし、また、現在の沖縄県民の殆どが「独立」を望んでいないので、結局「沖縄独立」は実現しないだろうが、それだけにこの工作は日本を弱体化させる。

尖閣諸島は軍事問題にせず既成事実を確保することが大事である。軍事問題になった場合には戦わざるを得ないが、日中両国とも同島の奪取・奪回はできても確保はできない。両軍とも航空優勢の常時確保ができないためである。となると永遠に奪回作戦を繰り返さなければならないので互いに無駄なことになる。

ロシアは旧ソ連圏内の国々との関係で忙しく、人口も減少し、経済的にも苦境にあるので軍事的に日本に影響を及ぼすことはないであろう。核弾頭数では世界1~2の国とされているので、米中の間にあってその実力をひけらかし、政治外交力とすることはあろう。北方4島を無償で返納せよと言えば、「沖縄と同様、日本の金でロシア軍の基地をつくれ」と言いかねない国である。

米国は日本に基地を置くかぎりその基地を守る必要がある。その意味で日本防衛に極めて有用である。しかし、その拡大抑止の効果は東アジア諸国と米国との関係によって変化する可能性があるので、日米関係だけを見るのでなく、米国を中心としたよりよい国際関係を築いていく必要がある。

 

7.日本の備えをどうするのか

北朝鮮の軍事的脅威に対し日本の軍事力で対応することは、既に遅きに失したと言ってよい。ミサイル防衛は不十分なので国防議員たちが非核敵基地攻撃能力を模索しているが、現在米軍ですら手をこまねいていることを日本がやろうとしても無理である。となればまずは米国の核の傘の信憑性を高めるための外交力に頼るしかない。それを高めるためには米国を中心とするアジア諸国との意見交換と、外交のみならず政治・経済・軍事の専門家による幅広い検討が必要である。テロ・ゲリラに対しては警察が一義的に対応し、それで不十分な場合には陸上自衛隊が警職法活用の治安行動で応援することになっているが、それでは極めて不十分である。

人口が日本の10倍である中国には軍隊220万人の他に150万人の武装警察と800万人の民兵がいる。日本の自衛隊員数は22万だから平仄があっているが、15万人の武装警官と80万人の民兵を創設しないと全体の平仄が合わない。その備えができた時に初めてテロ・ゲリラ対策ができるのだと承知して欲しい。

中長期的に考えれば、ミサイル防衛や敵基地攻撃能力、更にはサイバー・宇宙戦能力を高める必要がある。しかし、危機感を持たない国民の中からそういう要求は発生しない。 そのためにも全国土シェルター化の政策が必要である。個人用でも公共用でもよいので、国民一人一人が2週間は生き延びることができるという地下空間を作って年に数回防空訓練をするようになれば、国民がそうした防衛力強化を自ら要求するようになる筈である。米・中をはじめ多くの国々で既にやっていることなので、民兵問題とともに総務省、各自治体が事業推進者となって進めて欲しい。

中国の三戦に対応できる軍事力はない。三戦には三戦で対応するしかなく今の日本では国家安全保障局にでもお願いするしかない。そこにはサイバー・宇宙・情報の専門家も含め、必要ならば外国人も雇い、金をかけて強力なものにして欲しい。

尖閣諸島対策として努力している空自の航空優勢獲得・海自の潜水艦強化・陸自の一部海兵隊化、南西諸島への配置等の政策は継続・強化すべきだが、先述の通り、海上保安庁も含み警察の武装警察化による領域警備力強化が何よりも大事である。

 

8.最後に憲法関連のこと

憲法改正は難しいと承知しているが、集団安全保障における武力行使は憲法98条2項「条約及び国際法規の順守」を用いた憲法新解釈で可能になるので検討して欲しい。また、自衛隊という名称は元々憲法にないものだからこれを変えて欲しい。多国籍軍でもPKOでも武力行使が必要な時代に、自衛のためだけの防衛組織というものは世界にあり得ない。ともかく「自=Self」という言葉だけは外して欲しい。それは一国平和主義を表すからである。「軍」という表現がどうしてもだめなら「隊」でも良い。「日本防衛隊=Japan Defense Force」はどうであろうか。

(平成29年9月29日)

 

「逆説の軍事論」引用

新潮社Foresight(フォーサイト)引用